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「7世代先の子ども達」を想う休日

2013-05-07
7世代、約200年後はどうなっているのか?
逆に200年前の世の中は、今に比べてどうであったのか?
「子ども達」という視点からどんな世の中を「自分達」は残すのか?
「より豊かで便利な生活」を嫌が上にも享受して来た僕たち。
まず「自分」が考え、そして「隣人」と対話することが大切である。
その上で、社会がどのような選択をしていくかである。


ボノワ主催による標記のイベントに参加した。ドキュメンタリー「六ヶ所村ラプソディー」の監督・鎌仲ひとみさんと、水俣病センター相思社・永野三智さんのトークセッション。そこにウインドファーム代表・中村隆市さんが加わり、「7世代先」を考え合う好機となった。僕自身は、昨夏水俣を訪れて、永野さんから水俣病に関する様々な状況を、現地踏査をしつつ聞いた経験がある。水俣病の確認からは既に57年の月日が経過している。だが、この日本の社会構造が引き起こした悲劇から、僕たちは何を学んだのだろうか?水俣・六ヶ所・福島はそれぞれ点であるが、それは様々な観点で線として繋がることが確認できた。

三人のトークセッションにおける主張の共通点は、「隣人との対話」という点に求められるであろう。「何も知らない人が多数派であり、その人々とのコミュニケーション」をすることが肝要だということ。その「多数派の人々」はあなたの隣にいるということである。これを鎌仲さんは「不条理の中で生きて行く覚悟を持ち、自分だけ綺麗でいないこと。」、永野さんは「迷惑を掛け合える社会を目指したい」、中村さんは「大事なものを大事にしてこなかったことが社会をおかしくしている。」と表現した。そして問題の核心は、鎌仲さんが冒頭で述べた「日本人の物を言わない特性が解決を困難にさせている。」ということになる。

また三者三様な表現で、学校教育の問題点を指摘した点も傾聴に値する。「自分の意見を言えない教育」により「先生から答えを貰い」、その「答え通りに書く生徒が東大に行く」という図式。いわば「与えられるものだけで生きる」ことが高く評価される教育現場であるという鎌仲さんの指摘。「水俣に住んでいる子ども達が、水俣病のことを知らないという現実」の中で、「差別に耐える教育」が施されているという矛盾を指摘した永野さん。「大事な物はお金であるということを教えている学校」という角度から、経済最優先の競争社会における教育の価値観を指摘した中村さん。要は「子どもらしい子ども時代を送れる社会」を希求すべきなのにという鎌仲さんの言葉に集約されているのではないだろうか。このような教育上の問題点を考えるに、特に「表現する」ということにおいて中心的な役割を果たす「国語」としての立場は、大変重要であると個人的に再認識した次第である。

2000年代となってから世界的学力水準において、日本人の「読解力」低下が指摘され、我々現場の関係者も様々な模索を繰り返して来た。その延長上において「思考力・想像力・判断力」を養うべく新しい教育が”制度”上では展開し始めている。だがしかし、果たして自分の意見を述べて、一つに限定されない多様な答えを発見して行くような「対話」を構築するような教育が為されているのだろうか。我々、国語教育関係者の責務は、尚一層大きいといえるだろう。

僕たちの故郷である日本を大切にするということは、
こうした「隣人との対話」なくして成立し得ないのではないだろうか。
せめて過去の数えきれない犠牲になった方々から学ばなくしてどうするのであろう。
水俣・六ヶ所村・福島、
もちろんその延長上には、広島・長崎があり、
更には国内外で無念にも戦火で犠牲になった多くの方々の意志があるはず。

その”事実”を踏まえた上で「思考力・想像力・判断力」を育む、
真の「対話」による教育を目指さなければならない。
しかもそれは”急務”な課題なのである。

まさに僕にとって意義ある休日であった。
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