敢えて、王貞治の生き方
2013-05-06
世間では長嶋茂雄さんと松井秀喜さんの国民栄誉賞授賞式で沸き返った5月5日。野球を愛する僕は、敢えて「王貞治ベースボールミュージアム」を訪れた。
福岡へ向かったのは、別の大きな目的があるのだが、
この日にこの場所を訪れる運命と意義を感じた。
敢えて、
巨大な力ではない、福岡の地に咲いた野球を愛する純粋な気持ちからである。
ミュージアムで心に残った至言をまずは小欄に列記し覚書としておきたい。
父・仕福さんの王少年への言葉「人に迷惑を掛けられても、迷惑を掛けるな。」
算盤が得意で1塁まで走る間に暗算で打率が計算できた。
都立墨田川高校を2点足りずに不合格となり、早実へ進学。
兄鉄城さんの言葉「どんな時でも相手のことを思いやる気持ちを持て。」
2年目は7本塁打、打率161。
だが球拾いをしつつ丁寧にボールの破れを直していたことが評価され、
年棒は月1万円アップ。
苦悩の3年間。「オーオー三振王」というファンからの怒声。
「アップダウンクイズ」で著名人初の10問正解。ハワイ旅行獲得。
札幌山の手養護学校を毎年必ず訪問。
1976年10月11日ベーブルースを抜く715本塁打。
野球ではどうしたらうまくやれるかといえば、
一にも練習、二にも練習である。
練習という努力をする以外に方法はない。
通算守備率0.994
9年連続ダイヤモンドグラブ賞
通算四死球2504個
これがなければ通算本塁打は950本を超える、と言われている。
以上、展示を見た順番に羅列した。
少年野球の時から、左利きなのに右打席で打っていた。
甲子園で早実のエースとして活躍した際も、指の血豆の痛みに耐えていた。
プロ入り3年間は期待に応えられない打撃により苦悩。
本塁打を打ち続けることが当然視された重圧。
巨人軍監督時代の指導者としての苦悩。
福岡に来てから優勝までの5年間の日々。
WBC優勝までの精神的重圧。
胃癌との闘い。
展示を見ながら、その偉大な本塁打世界記録の陰で、多くの苦悩と重圧があったことが読み取れた。中でも、巨人軍監督を解任され(決して不甲斐ない成績であるわけでもなく)、福岡へ来る際の決意は大きなものがあっただろう。
僕自身が幼心に後楽園球場で観た、714本・715本目の本塁打。
伝記となっている人物を超える偉大さを肌で感じた。
その本塁打の滞空時間により僕は野球の虜になったといっても過言ではない。
東京は下町生まれで商家の育ち。
東京での現役時代。
監督として福岡へ。
そんな王貞治さんの生きた道に及ばずながら僕自身を重ね合わせる。
福岡の地で育てた選手に胴上げされる映像で、
王さんの笑顔は実に爽やかであった。
それは「長所を伸ばす」という方針で選手を育てた爽快さであろう。
僕自身も同様の方針で、
多くの「選手」をこの地で育てようという決意を新たにした。
東京ドームで行われたことには、
本日は、敢えて触れない。
偉大なる王貞治という人物を改めて尊敬したことを書くに留める。
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