言語で説明できないこと
2013-05-01
感情の襞を言語で捉えようとする。いや、言語にすることで自ら理解しようとする。
どんなに言語を尽くしても”感情”そのものにはならず、
ただそれに似たもので納得しようとしている。
それともまだまだ言語感覚が未熟なだけか?
自分でも制御できない感情に左右されることはないだろうか。
何か心の底から湧き上がる不思議なものに突き動かされるような。
それでも行動が感情のままであるわけはなく、その段差に再び心が揺れる。
いつしかその高低差に足を取られて、よろけそうになる自分を見つけることも。
転ぶ前に「文学」を追体験し再び自己を取り戻す。
何事も「説明」しようとする仕事ではあるが、
一番説明し難いのが己のことかもしれない。
いつになっても言語で構築されたある思考を糧にして、
行動の中に光明を見出そうとしている。
もっともそれこそが「文学」に傾倒した理由でもある。
言語で説明できないこと。
母国語でない方が説明できそうなこと。
表現力をどんなに身に付けても、
感情の域には達しないのかもしれない。
人生とは、説明できないことに沢山出逢うということのようだ。
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