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『ジャーナリズムの可能性』を考える

2010-01-27

26日(火)朝からTwitterに反応あり。新年会で始めることを勧めてくれた方々が気付いてくれた。少々でも気軽にご挨拶ができることが何とも嬉しい。こうした小さなコミュニケーションから、自己の新しい視野が開ける。そういえば、夜には鳩山首相の「ハイチ大地震調査団報告」に対するつぶやきがあったので、「(救援・支援を)瞬発力を持って実行して欲しい」という旨のつぶやきを返してみた。少々なれど政治に意見を言ったつもりにはなる。これぞ新しい民主主義か。

 昨日来読んでいた原寿雄氏の『ジャーナリズムの可能性』には、時折、胸が熱くなってしまうような表現があり、読んでいてやや涙目になったりもする。まさに本の題目に答えたような次の一節は、そんな感性を揺さぶった部分である。

  「自由と民主主義の社会に、ジャーナリズムは不可欠である。権力はどんなに民主的に選ばれても、放置すれば確実に腐敗し民主主義に背く。自由主義社会は厳しい倫理観が伴わなければ利己主義が横行する。弱肉強食のジャングルの法則に支配され、貧富をはじめとする社会的格差を増幅する。結果として自由も民主主義も大きく歪められ、市民社会は崩壊してしまう。
 ジャーナリズムは権力を監視し、社会正義を実現することで、自由と民主主義を守 り発展させ、最大多数の最大幸福を追求する。人権擁護はもちろんのこと、自然環境の保護も、人間性を豊かにする文化の育成も、ジャーナリズムに期待される機能である。」

 日常で何気なく接してきたつもりの「ジャーナリズム」に、これだけの使命があり、それを遂行してきた著者の思考がまざまざと読み取れるのだ。そして現在の状況が商業主義やご都合主義に流され、そのあるべき姿を失っている面を、原氏は的確に指摘している。「ジャーナリズム」に上記のような使命があるのなら、そのあり方自体を監視し、民主主義の遂行に努めるのは、実は我々個人個人の思考や感性ということになるのではないか。新聞・雑誌・TVそしてネットに氾濫する情報の渦中で、我々の客観的で冷静な判断力が問われているのだ。

 Twitterを始め、小欄の存在もそうだが、ネット社会が今後どのように機能し、新たな「ジャーナリズム」を生み出していくか。理性を持った対応で「人間性を豊かにする文化の育成」を心掛けて行きたいものである。
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