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「善か悪か」ではなくその意味を問う

2010-01-26
25日(月)週末に行われたという世論調査で、民主党の支持率が続落し、不支持が支持を超えたとTV局各社が報道。政権交代から5ヶ月目、もちろん現政権に課題は山積であるが、こうした世論を果たして大勢と見ていいのだろうか?そしてその世論とは何か?

 原寿雄氏『ジャーナリズムの可能性』(岩波新書)を読んで、日本のジャーナリズムのこの十余年のあり方に様々なことを考えさせられた。特に政治報道に多くの視点を注いで書かれており、現在の状況に至るまでの流れに対する考えを更新させられる。

  「(警察や検察に対して)必要にして的確な批判が十分になされていない。特に政界関連の疑獄事件などニュース性の高い大事件を扱う東京地検特捜部への批判報道は、事件報道上の最大のタブーと言えよう。」

   「とくに東京地検特捜部を批判できない聖域としている状況は、特捜部権力が強大なだけに実は大きな社会問題であることを警告したい。」

 といった部分を読んで、現在の「小沢氏をめぐる金の報道」を見ると、今一度、冷静に客観的に状況を見直そうという気になる。原氏の書物には具体例として次の記述もある。

   「九二年、金丸信自民党副総裁への五億円ヤミ献金事件では、本人の事情聴取もせずに略式起訴の罰金二〇万円で済ませている。」

 こうした「政治と金」の過去の歴史を、果たして多くの「世論」の構成者たちは、記憶にあるのだろうか?また原氏の著作「視聴率に支配されるテレビ」という項目では、

   「ラジオ・テレビという最も進歩したマスコミ機関によって、“一億総白痴化”運動が展開されているといってよい。」という一九五七年の評論家・大宅壮一の言葉を紹介している。

 報道はあくまで情報源。そこから得られたことから何がどうなっているのかと思考してこそ意味があるというもの。その思考が欠如し、「空気による社会支配」が進行するのは、何としても避けたいと思うのである。「善か悪か?」といった単純な選択ではなく、「何がどのような状態なのか?」を問うべきだ。


 話は夕食時のことになるが、いつもの中華料理屋で食事中、以前にも似た状況を小欄に書いたが、また同じ席の位置で、女性が大声で携帯の通話をしている。小生は、前の著作を読みながら食事をしていた。当然、その女性から当方は視野に入るわけだが、何度も携帯で話しては切り、再び通話の繰り返し。よっぽど、読んでいる本を教室で読むような大声で音読してやろうかと思ったが、こちらは大人なので、理性がその行動には至らしめなかった。

 果たして、この女性の行動は「善か悪か?」この場合も、こうした二項対立の図式でのみ考えると、女性を悪者にして、こちらは憤慨して終わりである。だが、「何がどのように?」と考えれば、「他人の立場を気に掛けられない女性」として哀れになってきてしまう。日常から思考できる考え方を採りたいものである。

 朝日新聞夕刊に、池上彰氏が、「捜査の意味や見通しを示して」と「新聞ななめ読み」というコラムで「小沢氏の金をめぐる報道」への意見が掲載されていた。

 物事の意味を考えようとする思考こそ、何より貴重なのだ。
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