〈教室〉での開いた心
2013-04-03
初対面で「開いた心」というのは持ちにくい。これから何が起こり、自分の言動に対しどんな反応があるか?
ある意味での「恐怖」により、心は閉ざされているといってよい。
詩人で英文学者の加島祥造は次のように述べている。
「生きた会話と開いた心とは非常に大切な関係にある。会話と知性との関係も大切だが、それ以上だと言える。なぜなら知性が足りなくとも、開いた心からは素晴らしい会話が生まれるが、どんなに知性が高くとも、閉じた心からはいい会話が生まれてこない。」
(『会話を楽しむ』岩波新書1991)
さらに、「開いた心とは「隠さない心」であり、閉じた心とは隠す心だ。」とある。そして前者が「安心感」から生じ、後者は「恐怖感」から生じるとしている。
果たして〈教室〉での会話は、「開いて」いるか「閉じて」いるか?
「よろしく、みなさん!」
「さあ!声に出して読みなさい。」
「親身な気持ちで指導します。」
教員の声は、一応は希望に満ちている。
こうした声による会話を契機に、相互が「開いた心」が持てるように運ぶべきである。
強引な指名による「答え」は、「恐怖感」から「閉じた心」でしか語られない。
〈教室〉そのものがコミュニケーション空間であることを、
今一度念頭に置きたい新年度初頭である。
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