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辛口ファンが育てる日本野球へ

2013-03-19
「3連覇の夢は断たれた」
「3連覇は幻となった」
こんな見出しが巷に躍り出る。
「3連覇」が前提条件なのか?
否、常に新たなる「挑戦」であったはずなのだが。
野球日本代表がWBC準決勝において敗退した。

野球の勝負には様々な要素が作用する。打たれた投手・好機で打てなかった野手・好機でミスをしてしまった選手。その目立つ局面に立たされた選手に「責任」の二文字がのしかかりやすい。だがチームスポーツである野球選手個々への責任論は好ましくないだろう。「責任」という意味でいえば、首脳陣がいかに選手の責任感を軽減し、自らが決断した結果であると(その結果がどうであれ)胸を張って言えるか否かが重要であると考える。

勝負には後がない。間もなく選抜高校野球も開幕するが、その人気の原点は常に「負ければ敗退」という条件の中で、前向きなプレーに惹かれるからであろう。僕の母は高校野球ファンであるが、日頃から「(高校球児は)プロよりよっぽどバントが上手い」と賞讃している。中学時代の僕は「決してそんなことはない」と真っ向から母のことばを遮ったが、今にしてその真意がわかる気もする。「負ければその場から去らなければならない」という勝負の迫真さが、明らかに超短期決戦の高校野球甲子園大会には見えるからであろう。もちろん年間を通じて、こうした姿勢で試合に臨んでいるプロ野球選手がいないわけではない。ゆえにそのような姿勢を毎試合見せてくれる選手がいれば、僕は自ずと尊敬し球場に足を運ぶ労力を厭わないのである。

今回の野球日本代表の闘いぶりを見ていて、こうした勝負に対する姿勢においての甘さが否めなかった。プロ野球各球団を代表する力のある選手が集結したにも関わらず、その“雰囲気”が感じられなかった。それは宮崎にこの代表選手が召集された合宿の折から感じ取ることのできた、ファンとしての僕自身の大きな不満である。実際にその行動はさし控えたが、「声ぐらい出せ」と球場で怒鳴りたいぐらいの気持ちで練習を観ていた。本来ならスタンドからそんな類の野次が浴びせられてもよいはずであろう。だが宮崎県営サンマリンスタジアムにおいて、その批判は野次ではなく観客数に顕著であった。前回09年の代表合宿が24万人の観客を集めたと言われているが、今回は8万人であると報道されている。ファンの期待は前回の三分の一であったということである。

唯一この大会で“痺れた”場面は、2次ラウンド台湾戦の9回2アウトから盗塁敢行の上での適時打で同点としたこと。その薄氷を踏むようなプレーを経て、ようやく日本代表が“チーム”になったと感じ取れた。だが、その薄氷は二度目には明らかに瓦解した。その紙一重の上にある勝負というものを、練習段階から意識している選手がどれだけいたか。それが勝負に対する“甘さ”として、潜在していたような気がしてならない。

大仰な物言いが許されるならば、その“甘さ”をファンが日常から許しているということであろう。今回の代表チームにおいても、どんなに結果が出せない選手であっても、代打などで起用されれば大きな声援が起こった。日本プロ野球のシーズンでは、かなりの“数字”を残している選手が、全く頼りにならなかった。シーズン中においていかに「温室」の中で、ユニフォームの「威厳」を翳して“結果”を残しているかが窺い知れた。そしてファンは、どんな“状態”であってもオリジナルな吹奏曲に合わせて、集団一斉的に共通した動作を惜しみなく繰り返し、声を枯らして“場面を選ばず”「ホームラン」や「かっとばせ」を連呼する、無批判な「声援」を無条件に提供する。僕自身の偏見に満ちた感覚であるが、たぶん肝心な一球を見つめる精度など無関係であるがゆえに、どんな凡フライでも溜息の前に歓声が立ち上がる。無批判な妄信ともいえるファンの姿勢が、こうした「温室」に加味されていると言わざるをえないのではないだろうか。

「温室」という意味でいうならば、ドーム球場の快適さもまた同じ。僕自身も雨風を防ぎ快適な温度で、場合によると花粉症まで改善されたかのように感じる“ドーム球場”の恩恵を高い入場料を支払い享受した。快適なのは観客のみならず。寒さや風の影響を受けない環境は、まさに選手にとっても「温室」である。海に面したサンフランシスコの強風とこの時季の寒さにおいて、日本代表選手が逞しく野球をしているようには、映像を通じても観て取ることはできなかった。野球は大空の下でやるものである。

MLB所属の選手が全く参加しなかった影響は、単に技術の問題ではない。どんな環境にも適応し、常に負けたら(実績を残せなかったら)いつでも自由契約さえあり得る環境で闘う、迫真の勝負師がいないということだ。だがしかし、今回のWBCを通じて感じたのは、MLB偏重の意識だけではならないということ。一野球ファンとして、日本のあらゆる野球において真の勝負を見出せるよう批判的な視線を注ぐべきではないかと感じられた。それはどこか政治・社会に対する“監視”にも似た社会的意識と共通するのではないかと思う。

民意の低さが政治を頽廃させるように、
日本野球を育てるのは、僕たちファンの意識なのではないだろうか。
4年後には日本野球の特長を存分に魅せられる日本代表が観たい。
一野球ファンとして昨日の敗北から新たな決意を心に誓うのであった。
“辛口”にあくまで批判的に全ての野球を愛してみようかと。
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