東京地検と小沢一郎氏に思う
2010-01-24
23日(土)午後、東京地検特捜部の任意聴取に、小沢一郎氏が応じた。約4時間に及ぶ聴取で小沢氏は主に、陸山会の土地購入資金の出所について説明した模様だと報じられた。秘書3人の逮捕に及んでいるこの問題を、果たしてどのように捉えればいいのか?この1週間ほど、様々な立場から気になっていることだ。
「政治と金」の問題は、ある意味で昭和史を綴ってきた自民党政治のあり方そのもので、長期にわたった佐藤栄作政権(1964年〜72年)以後、いわゆる「三角大福中」と言われる党内の戦国時代において、政治権力の獲得をめぐり、まさに水面下の攻防が繰り返された。そして小沢氏が、師と仰ぐ田中角栄の逮捕劇に及び、社会の中で表面化しつつも、経済成長を背景に、「暗黙の容認」が行われてきたようでもある。
今回の問題でも、現野党である自民党が、小沢氏を追及すればするほど、自分たちの党の歴史を、批判し失墜させるという「自己矛盾」がある。だからこそ、現総裁のお人柄も相俟って、国会での追及も手緩いものになってしまうのだろう。小泉純一郎氏などは、「こんな事態が自民党内で起きたら、幹事長などやっていられない」と豪語する様子がTVで報道されていた。郵政選挙の折に「自民党をぶっ壊す」と宣言していたので、その流れを貫いているのだろうが、引退した政治家の党内発言として、真の「自民党政治終焉」が間近であることを感じてしまう。
果たして小沢氏が「何ら!やましいことはありま、せん!」と党大会で発言した真意と、検察側の目指すところは、今後どのような状況で対峙が続くのだろうか?そして、その報道のあり方は、どのような作用をもたらすのだろうか?様々な角度からこの問題を考えて、「政治と権力」「報道と監視」というようなことを、真摯に辿って見る必要性を感じた。まさに日本のジャーナリズムのあり方が、いま試されている一面もありそうだ。
思うがままに、小沢一郎氏の聴取で考えたことを記した。大げさに言えば、昭和に発する日本政治のあり方そのものが問われている。ゆえに、「政治とジャーナリズム」の歴史と奥深さを学んでみようかと、何冊かの書物を購入した。これまでにもスポーツ報道などにあたり、日本における報道のあり方に疑問を感じることが多かった。「ジャーナリズム」とは何か?今週はそんな問いを、自分なりに発していきたいと思う。
この一週間は、脳と身体がかなり活性化してきた。手帳を見れば休館日以外は全てジムでトレーニングをした。書物により「思考」が「整理」された。そして、「教養」のために、様々な分野の書物に目が向いた。立花隆氏が「教養」を定義して次のように述べている。
「人間活動全般を含むこの世界の全体像についての幅広い知識」
「その人の精神的自己形成に役立つすべてのもの」
「現代社会を支えている諸理念の総体」
「教養」はパンのための学問(実学)ではないとした上で、
「知っていないと恥ずかしい知識の総体」
「各界で教養人と見なされている人々と恥ずかしくない会話を持続的にかわせるだけの知的能力」
以上『ぼくらの頭脳の鍛え方 必読の教養書400冊』(立花隆・佐藤優著・文春新書)。
自分自身がいかに蛸壺の中でしか学んで来なかったかがわかる。視野を開くというのは、こういうことだ。その先には、大きな地平が広がっているはずである。
- 関連記事
-
- 世論は疑ってかかるべし (2010/01/31)
- 即時性の獲得―iphoneの魅力 (2010/01/30)
- 論評する力 (2010/01/29)
- 冷静な客観的視線を確保する (2010/01/28)
- 『ジャーナリズムの可能性』を考える (2010/01/27)
- 「善か悪か」ではなくその意味を問う (2010/01/26)
- 朝飯前!Twitterも気軽に開始! (2010/01/25)
- 東京地検と小沢一郎氏に思う (2010/01/24)
- 「見つめる鍋は煮えない」 (2010/01/23)
- 「忘却」の効用 (2010/01/22)
- グライダーから凧へ後退 (2010/01/21)
- 語学(英語)を学ぶ快楽 (2010/01/20)
- 続・センター試験と日本の教育 (2010/01/19)
- センター試験と日本の教育 (2010/01/18)
- 政治を身近に!―Twitterをいかに使うか (2010/01/17)
スポンサーサイト
カテゴリ :日記
トラックバック:(0)
コメント:(-)
tag :