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卒業式の気持ちを日常から

2013-03-04
僕自身は大学入試が重なり高校の卒業式に出席できなかった。
後日、証書を手にしたわけだが実感がないままに大学生になった。
何事も節目となる“通過儀礼”としての式典は重要である。
その内容は自ずと形式的にならざるを得ない。
長い年月において卒業式の形態に大きな変化はない。
だとすれば、その日に感慨を抱くのは
3年間の学校生活の蓄積に拠るものだろう。

僕が新卒教員の時に、非常勤講師として担当した授業は全て高校3年生であった。5歳ほどしか歳の差がない生徒たちは、明らかに僕よりも学校に慣れていて、授業を“さぼる手段”を心得ていた。暗中模索で授業を進める僕は、せめてどんな状況でも情熱は失うまいと、ある時は怒り、ある時は熱弁を振るった。要領得ない新米教員の授業を受けていた生徒たちは卒業式を迎えた。その時、様々な思い出のことばを生徒たちが掛けてくれた。中でも「先生の授業は熱いですよ」という言葉が深く記憶に残っている。どんなに混迷を極めても“情熱”を失わないことの大切さを教えてもらった。

その時心に誓ったのは、教員である以上日常から「卒業式の日の気持ちで臨もう」ということだ。卒業式の時に担当した生徒たちがどんな気持ちを表現してくれるか。それは日常が全てである。ところが生徒も教員も時の流れの中で、その別れの日を想像せずに頽廃した日常を送ってしまうこともある。〈教室〉という場で関わる人間同士の関係を無駄にしてはならないはずだ。

今年もまた卒業式に参列した。
新米教員だった時と、僕自身にどんな変化があるのだろう。
写真に一緒に収まった生徒たちがいる。
そして進学先を報告に来てくれた生徒がいた。
その小さな喜びが、この1年の僕の生き方でもあった。


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