熱い視線に魅せられてはや幾年月
2013-02-27
お店に行ったりすると“担当者”へのこだわりが強い。その店の「質」に対する評価を大きく左右する。
いわば相性ともいえるような“人”との関係性で店舗を選択する感覚。
それは弱冠20歳頃にからの傾向でもあった。
特に整髪に関してのこだわりは人並み外れたものがある。
大学2年生の時に、自宅近所に“ヘアーファッション”と称する店舗が新規開店した。それまでは、いわゆる街の「床屋さん」に通っていた。高校時代までは、部活動をしていた為に角刈りで通しており、特に店舗を選ぶ必要性も感じなかった。しかし、大学生ともなると“格好をつけたくなる”時季が訪れて、どうも「床屋さん」では不服が募る結果となって来ていた。「床屋さん」には僕の両親が街の中で“義理”のある方であったのだが、一言断って“ヘアーファッション”の扉を開いた。
その店に行ってみて、客を飽きさせないサービスと技術の高さには驚くほどであった。「先生」と呼ばれる方が、自由自在に鋏を駆使して雑誌にあるような希望通りの髪型に仕上げてくれた。その時から、この店に惚れ込み月に1回の励行が楽しみになった。するとその「先生」が髪を切る場面を、背後から無我夢中に見つめている視線に気づいた。最初にシャンプーをしてくれる、当時の僕と同年代の青年である。
大学2年生であった当時は、「学問」の“真似事”を始めようと思っていた時季(1年生の時は語学に夢中)であった。何事も洞察力と集中力が大切であると感じながら、未熟な甘さが目立った頃だと今にして思う。だが、この全く異業種の同年代らしき青年が、熱い視線を先達の整髪技術に向けて、盗み取らんとするような姿勢を示していたことは大変刺激になった。一足早く、“プロ”の道に歩み出そうとしている、“迫真の視線”ともいったらよいだろうか。
次第にその青年は、シャンプーとシャービングのみならず、カットに“デビュー”することになった。すると僕は必ず彼に髪を切ってもらうべく、日曜日の朝一番にそのお店に出向いた。他のスタッフよりも必ず最初にスタンバイしている彼が笑顔で僕を椅子に案内してくれた。次第にその店の中でも、僕はその彼にしか髪を切らせないので、「専属」などと呼ばれるようになった。
僕が大学卒業後も暫くは楽しいカットの時間が続いていたが、彼が実家の店に戻らなければならない日がやってきた。他のスタッフに“担当”を託して彼は店から去った。暫くは、彼自身の意志は「この店を大切にして欲しい」という思いにあると受け止めて、他のスタッフに髪を切ってもらっていた。だが、どうもしっくりしない。決して技術が劣るわけではないのであるが、この感覚は何であろうという疑問ばかりが先行した。
そんな疑問を持ちながら髪を切ることに耐えられなくなった僕は、ささやかな決断をした。電車を乗り継いで30分ほど、彼の実家店舗に行くことである。かくして、あの爽快で心休まる豊かな時間が戻った。概ね注文はする場合もあったが、大抵任せておけば季節や状況に合わせた髪型に仕上げてくれる。僕がどんなスタイルが似合うか、そしてどんな髪質か、どんな髭の固さがあるかなど、ほとんどのことを熟知してくれている。
その彼と昨晩はカットの後に、これまでの思い出を語り合う時間が持てた。
様々なことがあった。
だが、そのいつでも僕の髪型は彼が作り上げてくれていた。
彼は今や、若手スタッフ3名を抱える尊敬される「先生」である。
だが、あの20歳の時の熱い姿勢は何ら変わらない。
“プロ”とは人を魅了する視線が注げるかということ。
今後も彼との交流を通して学ぶことも多いだろう。
人生街道をともに歩んでいるかの如く、かけがえのない友人である。
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