「サザエさん」と「カツオ」の関係ではないが
2013-02-25
幼少の頃、『サザエさん』を見ていると、カツオはサザエさんの子供なのかと勘違いしていた時季があった。
長女夫婦が、弟妹たちとともに両親の家に同居するという構成が、
理解できなかったからであろう。
タラちゃんにとってカツオやワカメは叔父・叔母であるということも。
(現に「カツオ兄ちゃん・ワカメ姉ちゃん」とタラちゃんは呼称している。)
もちろん、磯野家においてマスオさん家族は「フグタ」という姓である、
ということを幼少の身では気づく術もない。
そのサザエさんの影響を受けていたわけではないだろうが、僕自身も幼稚園から小学校低学年にかけては、「家にはお姉さんが2人いる」と、「家族の絵」などに描いていた記憶がある。次第にその「2人のお姉さん」が、「叔母」であることがわかってきた。それにしても、両親とともに叔母と住居をともにするという家庭環境から学んだことも多かったと記憶する。
年上の“叔母”は、絵が得意だった。様々な油絵を描き展覧会で入賞し、みんなで上野の美術館まで見に行ったこともあった。その風景画に憧れて、見よう見まねで鉛筆によって絵を描いたこともしばしばであった。現に、幼稚園のころから絵画教室に通い始め、小学校の半ばまでは毎週水彩画を描いていた。
年下の“叔母”は、ギターが得意だった。僕が幼少の頃には、まだ高校生だったのだろう。文化祭にみんなで行って、叔母がギター演奏する姿に憧れた。その影響か、幼稚園でアコーデオンやエレクトーン教室の門を叩いたのだが、基本的な素質がなかったのか、すぐに辞めてしまっている。今思えば、あのとき鍵盤をしっかり学んでおけばよかったなどという、遥かなる“後悔”に及ぶ時もある。
しばらくぶりに、この叔母2人と会った。
年齢は重ねても、その口調や感性は変わっていなかった。
祖父・祖母の墓参に行き、しばしの昼食を楽しんだ。
話しているうちに、幼少の頃の“僕”に戻る。
そういえば、「僕」と呼ばれていたことも思い出した。
記憶の見えない襞に光を当てるのもよい。
前進ばかりのみならず、人生には回想も時に不可欠である。
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