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伸び切った身体は思考しない

2013-02-24
なぜ〈教室〉での音読・朗読がつまらないのだろうか?
僕自身が拙著の中で大きな疑問点として投げ掛けた命題だ。
指名されて読む側も、聞く側も決して楽しめることはない。
むしろ、「国語」(文学作品)への嫌悪感ばかりが増幅する。
こんな国語教育が実践されてしまっている〈教室〉を
何とか改善しなければならない。

『朗読の教科書』(パンローリング株式会社刊)の著者・渡辺知明氏による、「日本コトバの会」の講義に参加させていただいた。内容は、御著書「第6章文学作品の表現法」の前半の講義。朗読から表現よみへと上達するには何が必要か。文学作品の音声表現の基本は何か、といったテーマでの講義と実習であった。

内容からして、僕自身の国語教育研究との関連から、小欄に記したいことは多岐に及んだ。各論は個々に今後詳細に検討するとして、大きな“問題”について覚書としておきたい。それは「読む姿勢」としての「上体の落とし込み」である。

〈教室〉で指名読みを行う場合、中学校・小学校と発達段階が低ければ低いほど、「正しい姿勢で読みなさい」といった指導が付随するだろう。だがその「正しい」が大抵の場合、「背筋を伸ばして教科書を前に構えた“伸び切った”姿勢」であるとされる。渡辺氏はこの点を注視し「伸び切った姿勢では読めない(表現できない)」と断言する。この硬直した姿勢というのは、文学作品を豊かな“表現”として読むことにおいては、実に“不適切”な読み方なのであるという。僕は、こうした“伸び切った姿勢”で行われる〈教室〉での音読を、「教科書読み」と拙著の中に記した。豊かさのかけらもない、読む側も聞く側も幻滅していく頽廃極まりない読み方である。だが、そんな“不適切な音読”が多くの〈教室〉で今も尚実践されている。

ではどんな姿勢が、「表現よみ」に適しているのか。それは渡辺氏の御著書『朗読の教科書』36・37頁に記されているので、ご興味のあるかたは参照されたし。一言でいうなれば、「大日如来像」の「リラックスした姿」であるという。巷間に流れている印象深い“声”は、多くがこの「リラックスした姿」で語られているという。「伸び切った姿勢」を敢えて使用しているのは、バスガイドとエレベータでの案内係であるとも。こうした方々の“声”が特異に響くことで効果を発揮しているのは、この「姿勢」に起因しているという。

そして何より重要なのは、「伸び切った姿勢」であると“思考は排除される”ということ。学校現場で学習者が、背筋を伸ばして硬直した身体での「ハイ」という返事に思考は伴わない。自己の批評性を排除し、鵜呑みにするための「伸び切った」身体といえるかもしれない。国語の時間に限定していえば、必然的に“思考なき音読”が空しく〈教室〉に響くのである。

音声表現を体系的に考えた著書はそう多くはない。
そんな中で、渡辺氏の御著書は様々な観点を提示してくれている。
最後に、この日の講義の冒頭で示されたことを覚書としておこう。

〈朗読の成分〉
放送50%
俳優・声優20%
音声訳20%
学校・読み聞かせ9%
表現よみ1%

朗読が実践される現場の割合。
僅か1%+9%の議論が、渡辺氏と僕との領域である。
だがしかし、少数ゆえに精緻に考えたいという自負が、
お互いの中に巣食っていることを確認できた。
今後も様々な交流を通して、
「伸び切らない姿勢」で学び合いたいと思える豊かな出逢いであった。
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