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持込み禁止物と土足と

2013-02-18
「缶・ビン類とは球場内にお持ち込みができませ〜ん。」
「ペットボトルは蓋を取ってのお持ち込みとなりま〜す。」
「水筒やクーラーボックスもお持ち込みになれませ〜ん。」
「どうぞご理解とご協力をお願いしま〜す。」
学生アルバイトらしき係員が拡声器で何度も呼び掛けている。
“学生”と判断したのは、外見もさることながら、
その語尾の伸ばし方。
現在の若者の喋り方の一典型であると感じられた。

“語尾の伸び”について今回はさておき、この「球場内持込み禁止物」について考えてみよう。だいぶ久方ぶりに、日本プロ野球を観戦するために、しかも自由席の列に並んだ。以前から東京ドーム等でもそのような禁止物があり、荷物検査が励行されることは周知である。テロ防止・危険物持込み禁止の観点から妥当な社会的規制であるように思われる。

最近は僕自身、米国での野球観戦機会が多いためついつい比較してしまうのだが、米国球場の徹底した自己責任を根底にした警備・規制のあり方と、日本のそれとで“文化的”な相違を感じることが多い。例えば、ペットボトルなどは日本の習慣で絶対に持込み禁止であると思っていたら、荷物検査はありながら米国球場では問題なく持ち込める。その理由はなんだろうかと模索していると、明らかな“自己責任”が球場内で課されていることに気付いた。仮にペットボトルをフィールド内に投棄したとしよう。警備員が跳ぶようにやって来て有無を言わせず即刻退場であり、場合によると暫くはその球場に入場できない。“入場時に易しく、入場後に全面的な責任が課される”のである。(実際にこうした光景を目にしたわけではない。僕の隣でいくつかの禁止行動を繰り返し注意を受けていた人物が警備員に“連行”されたことを見たことがある。)

それに比して、日本の球場は予防を徹底している。投げ込む可能性のある危険物は持ち込ませない。ペットボトルは、「蓋を取ってのお持ち込み」というのは今回初めて体験したが、果たしてその意味や効用とはなんだろうか?きっと蓋を閉めて液体が詰まっていれば、危険な投棄物となる可能性を排除しようとしているのだろう。ところが、今回偶々目にした光景というのは、この規制が裏目に出たものであった。入場後の座席で僕の隣に座った老夫婦のご婦人方に、通路を歩き座席を探す別のご婦人が、ペットボトル内のお茶を大量に浴びせ掛けてしまったのだ。蓋を“取られた”という意識が薄れてペットボトルを手にしていたからだと、掛けたご婦人は平謝りであったが、掛けられたご婦人は衣服に着いた“お茶”による染みをたいそう心配しつつ、不快な表情を禁じ得なかった。入場禁止物による悲劇ともいえよう。

そうかと思うと、「自己責任」を無用に主張する輩もいる。あるカメラマンが、球場の席の座面を土足で踏みながら移動をしていた。見かねたあるおじさんが言った。
「カメラマンさん!あなたはなんで、土足で席を踏んで行くのよ?おかしいよ!」
するとカメラマンは、
「いや〜。ここは僕たちカメラマン席ですから大丈夫です。」
という返答。
おじさんは更に呆れて、
「子供が見ているんだからさあ!」
と付け加えた。
自分たちが座る席だから、“汚してもいい”という実に“自己責任”感覚。
確かに大きな望遠付きカメラを持っての移動はきつかろうが・・・。
小欄には書かないが、僕はその発言をしたカメラマンの所属する新聞社を、胸から下げるIDで確認し、記憶に刻んでしまった。

規制と管理と。
「教育」の中でも常につきまとう事項。
予防措置も大切であるのだが、
的確に行動の意識が問われるという意味での“自己責任”も必要だ。
どうも巷間では、“自己責任”が“利己責任”になってやしないだろうか。
球場の光景二つについて、ふと考えさせられた。

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