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グライダーから凧へ後退

2010-01-21

20日(水)外山滋比古氏(とやま・しげひこ)『思考の整理学』(ちくま文庫)を読み始める。「東大・京大で1番読まれた本」(2008年大学生協調べ)と広告たる帯にある。その「自ら学ぶ」という姿勢を説く内容は、発行から24年目の時を経てもなお「変わらない価値がある」という。

 最初に日本の学校で学ぶ学生をグライダーに喩えて曰く、

  グライダーと飛行機は遠くから見ていると、似ている。空を飛ぶのは同じで、グライダーが音もなく優雅に滑空しているさまは、飛行機よりむしろ美しいぐらいだ。ただ悲しいかな、自力で飛ぶことができない。

 とあって、「優等生とはグライダーとして優秀なのである。」という。学校では「ひっぱられるままに、どこへでもついていく従順さが尊重される。勝手に飛び上がったりするのは規律違反。」とあり、学校が「グライダーの訓練所」であり、「飛行機などがまじっていては迷惑する。危険だ。」と述べている。

  年頭から「日本社会の特徴と問題点」ということをいくつかのテーマに沿って考えてきたが、この外山氏の表現で大きく腑に落ちるものがあった。日本の、主として第二次世界大戦以後の「教育」は、「グライダー学生」を養成する場所になっていたのだ。

  朝日新聞夕刊には、関 曠野氏(せき・ひろの)「日米安保条約50周年 依存「卒業」、ソフト力で」という論考あり。「徳川幕府の門戸をこじ開けたのはペリーの黒船だった。以来近代日本国家は英国についで米国というアングロサクソンの覇権国家が形成した世界に適応することを課題にしてきた。」とある。国家という大きな枠組み自体が、英米に「依存」して成長してきたということを述べる。

  外山氏の記述に戻れば、「学校が熱心になればなるほど、また、知識を与えるのに有能であればあるほど、学習者を受け身にする。本当の教育には失敗するという皮肉なことになる。」とある。それは、「いまのことばの教育は、はじめから意味をおしつける。疑問をいだく、つまり、好奇心をはたらかせる前に、教えてしまう。」とも。教育は、英米に引っ張られてしか飛べない国家国民を、見事に「グライダー」化し、世界の大空へと滑空させたのである。

  というわけで、小生も外山氏の文章によって、本日は滑空できているようなもの。最後に、少しだけ自力で高度を上げようとするならば、こうだ。外山氏の指摘からの24年間で、「グライダー訓練所」は「凧の養成所」に変わってしまったかもしれない。「グライダー」ならば、まだ優雅に飛び美しくも見えるので「飛行」していると言えるが、「凧」では「糸」に誘導され、「飛ばされている」状態でしかない。「受け身」は「誘導される」域まで後退したように思う。

 「自ら考える」ということ。その世界的な標準が、日本の教育ではなされない。「凧」は糸が切れたら墜落するだけであり、風の影響を受ければ、それを立て直す操縦も不可能だ。学校の教師は生徒を「糸」により「誘導」せねばならず、また自らも学校組織や教育委員会により「誘導」されて余裕を失い、負のスパイラルに突入している。この、「受け身」「依存」を脱するには、果たしてどうしたらいいのだろうか?

 結果を尚早に求めるあまり、焦ってしまう。オバマ政権1年にして、「結果が出ない」ことを理由にOHIO州などで支持率の下落が盛んであるとTVが報じていた。尚早な結果を求めれば求めるほど、将来的に大きな幸福への道は閉ざされるはず。日本の教育・社会もどのような方向へ向かうか、新しい10年が鍵を握っている。
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