幼児の行動に学ぶ
2013-02-10
ミニコンポの一番目立つツマミはボリューム。それを鷲掴みにして思いっきり時計回りにひねる。
ボリュームがレベル45まで上昇し爆音が響く。
同時にツマミを回した本人が震え上がっている。
泣くまでには至らなかったが、幼い子供の無邪気な行動である。
自宅に従兄弟夫妻が幼い二人の子供を伴い来訪した。実に久し振りである。(以前来訪した時、子供はいなかった。)よって、僕の自宅空間に幼児が“侵入”するのは初めてである。勿論、書斎や寝室は“不文律”として立入禁止にしておいたが、リビング空間を縦横無尽に走り回る存在に対して新鮮な感情を抱いた。その小さな身体は、僕が予想もしない場所を通過することが可能であり、些細な物を発見する力に長けていた。
幼児の好奇心というのは素晴らしい。大人は、物品が壊れるのを心配するとか、周囲に迷惑が掛かるのを避ける。様々な“社会的配慮”が備わっているからこそ“大人”ともいえるのであろう。だが、幼児は“行動”が先である。このツマミを回したらどういう事態になるかなどと考えない。自分が驚くほどの音が放出されて初めて、身体が震え上がる。それでもなお、その驚愕の音量が自分の行動によって為されたとも解していない気配である。
そんな幼児の好奇心に根ざした無邪気な行動を、われわれは“大人”であるからという理由で、避け過ぎるきらいはないだろうか。先を読み過ぎる、周囲への配慮を考え過ぎる。そんな心で自分の可能性ある行動を潰してはいないだろうか。社会生活をするという意味では、その匙加減が大変重要であるのは自明である。だがしかし、何事も“右へ習え”でいいわけではない。子供のように無邪気に好きなことを好きなように実行できる気持ちもまた大切であるように思う。
学校社会での「いじめ問題」
社会に「KY」なる“他者排斥”のことばが通行する。
周囲を考え過ぎる為に、個性を出せずに萎縮する人々。
たぶん、幼児の頃は怖いもの知らずであったに違いない。
時に結果を考えず、思いっきりボリュームツマミを右に捻ってみるのもよい。
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