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空港の興奮ともの思い

2013-02-08
遥かなる空間へ短時間で移動する手段。
飛行機の開発は人間に何をもたらしたのか?
空間的な移動であると誰もが疑わないが、
実は“時間的”に大きな移動なのではないかと
待合室に座り込んでふともの思いに耽った。

空港へ行くということに妙な興奮がある。国際線はもとより国内線でもまた然り。受付カウンター(最近は自動チェックイン機も多いが)を前にフライトを確認する時の、喩えようのない心の躍動。あの気持ちは何だろう。定刻予定通りにフライトが履行されればよいが、時に遅延や欠航も珍しいことではない。日本の公共交通機関の中で唯一、そんな偶有性に満ちた体験をできるのが空港かもしれない。旅行慣れした僕などは、その予定が揺さぶられる事態を楽しむかのような感覚が身に付いて来た。

人生もまた同じ。予定調和を意図し定められた枠組の中だけで生きて行くのは、安定感があり間違いがない。大学卒業とともに入社した場所に定年までいるのもまた人生の歩み方ではある。だがしかし僕は今までも、空港のカウンターで予約便にどのようなフライト変更があるかを聞く時と同じような興奮を求めて、居場所を異動して来た。大都会の電車が寸分の狂いも無く乗客を運ぶという利点がありながら、息が詰まるような満員の車中で苦しんでいるのも好きではない。公共交通機関でどこにでも行けるというのも都会人の幻想に過ぎない。要は自分が納得した道を常に歩んでいたいという願望を常に叶えるが如くに歩みたいと思い続けている。

あの地上勤務係員にフライトを申し出る時の興奮。
ICを改札にかざして予定通りに乗り込む電車とは大きな違いがある。
そんな場所であるから空港はもの思いにも耽りやすい。
そしてまた興奮と特段な“もの思い”を交錯させる待ち時間が用意されている。
飛び立つ前のささやかな心の撹拌。
それを僕は大切にしたい。

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