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研究室の思い出

2013-02-06
大学学部の時代に教授の研究室に行くのが楽しみだった。
何人かの先生の部屋に行くとそれぞれ個性がある。
書棚にどんな本があるのかを隈なく見渡す。
どれも興味をそそるタイトル。
扉が閉められた書棚の奥には何があるのだろうか?
まさに学問の深淵への旅立ちであった。

学部時代に学んだのは古典和歌研究。指導を受けた和歌に関する大家の先生が当時は二人で一部屋を使用していた。部屋番号が「568」ゆえに「ゴロッパチ」などと学生間では通称としていた。その研究室で行われる「古今集研究会」や「万葉集研究会」に参加した。古典和歌に対する妥協のない議論が積み重ねられた。当時の学生気質なのだろう、人とは違った極力個性的な解釈を提示しようと参加者は躍起になっていた。先生もそれを求めていたように思う。ひと通り研究会の議論が終息すると、扉の閉められていた書棚がガラガラと音を立てて開けられた。どんな貴重な本が出て来るのだろうと目を凝らしていると、話を更に活性化させるまったく違ったものが出て来た。現在では考えられない実に自由奔放な時代。中から出て来たものはご想像にお任せしておく。

大学院時代の先生の研究室も個性的だった。学生が相談等で入りやすいように入口のドアは常に開放され、中途半端に閉まらないよう紐でどこかに結ばれていた。所属する人数が多くなった年次などは、廊下にはみ出してゼミに参加している学生もいた。日頃から穏やかな先生であったが、ゼミの構成人員である大学院生は、いつも激しい議論を展開した。自分では“最善”と思って持って行く研究発表が、いつもズタズタに叩かれた。思い込みとはかくなるものかと研究世界の厳しさを思い知った。その果てに先生の厳しくも優しいことばが掛けられる。いつもそのことばの後には、研究が好転するヒントが思い浮かび、最終的に学会発表で公にする頃には、形になったものを提示することができた。研究をするには叩かれないと育たない。“叩く”とは勿論、いかにも“知的”に深い教養を以てして、相手に対して敬意を払い議論上で疑問点を残さないという比喩であることはいうまでもない。

学生にとって研究室は思い出の場所だ。
もはや僕の学部時代の先生の研究室は改築でキャンパス内から姿を消した。
そして指導教授も、学部時代と大学院時代のお二人とも鬼籍に入られた。
だがしかし、僕の中には研究室の思い出がたくさんある。
あの扉の閉まった書棚を開放する“ガラガラ”という音。
せめてあの書棚にもう一度出逢いたいと思っている。
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