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語学(英語)を学ぶ快楽

2010-01-20

19日(火)何事も「できなかった」ものが「できる」ようになるのは、嬉しいものだ。自転車に乗れた瞬間の、あの不思議な感覚。最初は、どう考えも倒れてしまう乗り物にしか見えないが、いつしか「あっ」と思う瞬間に、理屈ではなく乗れるようになる。あの快楽は、人類的な発見・発明の瞬間に近いような感覚を、多くの人が日常で味わう瞬間かもしれない。

 そもそも自転車の場合も、「どのように」ということを考えていたら乗れない。前項のような感覚さえ持たず、幼少の頃に知らぬうちに自転車に乗れるようになっていた方も多いだろう。これは、語学にも共通するように思える。理屈抜きに、自己の思うことを表現し、相手に伝えようとする。そして伝わった瞬間の快楽は、えもいわれぬものである。

 新しい年になって最初の英会話教室があった。一定の期間継続して学んできたので、今年は新たな意識で臨もうと思っていた。つまり、いかに日常的な中で、自然に自己の思うことを表現していこうかということである。理屈ではなく表現してみる、という意識がもてるようになるのが、次へと進む段階であると思うゆえである。

 しかし、「理屈ではなく」と思うということ自体が、「意識している」ことにもなる。自然にというのは、言葉にできないような状態になってしまうことだ。この日の教室では、最初から雑談のような内容で話が始まり、いつしか授業に入っていた。これぞコミュニケーションであり、自転車に乗る状態に近い。授業は休憩も忘れて2時間に及んだが、講師と2人の生徒に疲れはない。いかに自然な会話が2時間行われていたかが覗えた。

 「島国日本」における語学学習環境は、時代と共に様々であったはずだが、どこか特徴的な面があるような気もする。陸続きで多言語が共存する欧州。国土が巨大であるがゆえに、一国の中にも多言語が共存している中国。その中国から輸入された漢字により、ようやく言語が表記できるようになった我が日本。語学が「特別なもの」であるという感覚は、地理的条件による長き歴史の中で形成されてきたはずだ。

 他人に伝えたいことを伝える。この単純である行為が、他言語によって行えるという何ともいえない快楽。英会話教室に行く前に、いつも寄る洋食屋のおにいさんが、「もう英語ぺらぺらなんですよね!」と言ってくれた瞬間に、日常で学んでない人から見たら、自己では未熟と思っていても、英語でコミュニケーションができるという自覚を持った。

 英語は自然に自転車に乗るがごとく。それを「快楽」と感じ始めた自分が、新しい境地にいることを発見した。
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