全学級35人断念=「費用対効果」への疑問
2013-01-27
「一対多」という形式で教壇に立った経験があればすぐに分かる。何人ぐらいまでが一人で把握する限界であるかが。
それでも最大48人という学級を担任した経験が僕にもある。
授業担当はもちろんのことだ。
HRも授業も決して「多勢」に語り掛けるのではない。
個々の生徒に語り掛けるという意識が大切だ。
そんな意識が可能な最大値は、せいぜい30人から35人。
できれば25人なら尚更よいというのが、僕の“経験則”である。
文部科学省が進めて来た、すべての公立小中学校における35人学級の実現を断念したという報道。財政当局の「費用対効果」を疑問視する声による抵抗が原因で、教員増に積極的であった民主党が野党に陥落したことで白紙に戻されたのだという。民主党政権において全般的な失政が目立ったことは、今回の選挙での民意に反映されたわけであろうが、ただその全ての政策が的確ではなかったという訳ではあるまい。少なくとも3年半前の選挙で「政権交代」を選択した民意が期待したことで、実現して来た政策がないわけではない。そうした利点が、大きな政治の潮流のみによって反故にされるのは、何とも教育の現実や現場の感覚を無視した方向性であり、大きな疑問を呈せざるを得ない。
報道に拠れば、現政権の考え方では「全国一律の底上げよりも、学力向上やいじめ問題対応などに焦点を絞った追加配置の方が費用対効果が高いとの主張が強い。」(朝日新聞)のだという。この意向を反映して文科省と財務省が調整した結果、次の3点を主眼にした学校に限定して追加配置を認めるという。
1、小学校で担任とは別に理科や英語を教える専科教員を配置
2、いじめ問題への対応などで生徒指導の対応を強める
3、マネジメント強化のため主幹教員を置く
果たしてこの3点による追加配置が教育再生に功を奏するのであろうか。
1の専科教員配置は、小学校の担任授業負担の軽減に役立ち、教育効果も期待できるという意味で首肯できよう。ただ、2・3について現場感覚で述べるならば、何ら問題解決に寄与しない方策であると言わざるを得ない。いじめ問題は何も特定な〈教室〉で起こることではないだろう。その「対応を強める」というならば、まずは担任教員が全ての生徒に眼が行き届く環境を整えることが急務であるはずだ。40−35=5の差は実に大きい。たかが5人と言われるかもしれないが、30人を超えてからの5人の差は、絶大な大きさを感じるのだ。
また、「マネジメント強化」が現場の教育「効果」に繋がるという発想もいただけない。既に多くの(地方自治体により)公立学校でこうした「強化」の流れは実行されて来た。その現実を僕自身も友人・知人の公立教員から生の声として聞いて来たが、むしろ生徒指導に対する「監視→制約」といった状況が強化されて、活き活きとした教員の指導が妨げられている現実がある。また地方自治体によっては、こうした「主幹教員」になることを自ら避ける教員が多いという話も耳にする。いわば「現場」と政策施行側における感覚の乖離が甚だしいということである。
抑も「費用対効果」を基準にして教育政策を進めるという発想そのものに貧困さを感じざるを得ない。教育先進国としてこの10年ほど日本の教育関係者が崇める北欧などにおいては、根本的発想が豊かであると感じることが多い。商業主義における「費用対効果」という発想に加えて、「新自由主義」における「自己責任」といった発想が教育現場の尺度になってしまうことが、教育貧困への道であるように思われる。少なくとも、今現実に現場で起きている諸問題を解決するにあたり、上記の観点による「費用対効果」で改善されるとは到底思えない。
以前に米国を訪れた際に、現地で華々しく活躍する日本人と話していた時のことだ。「(日本の)教育の最大の改善点は何か?」と問われて、「少人数学級の実現」と僕は答えたことがある。しかし、彼女には真っ向から反論された。「個々の教員が多勢であっても対応しようとする努力をすべきである。」と。言い訳めいた能書きよりも、個々の教員の「自己責任」としての努力が足りないのではないかという発想をあからさまに呈された。経済最優先、何よりも頼りになる尺度は「お金」であるという立場で生活観念を築いている人に、教育を語るのは難しいという感想を抱いた。僕のささやかな経験であるが、経済最優先の観念に教育は引きずられて行く危惧を象徴するような出来事として、今でも心から離れない。
「費用対効果」
その「効果」に対する評価にも多々問題があろう。
少なくとも、「予算執行権」を教育現場に押し付けるのは暴論であろう。
これまでの長期的な教育現場のあり方を総合的に勘案して、
現場で起こっている現実的な問題を十分に把握し、
政党の主張を超えた待ったなしの議論が急務であると述べておきたい。
- 関連記事
-
- 大学入学で何が変わるのか? (2013/04/04)
- 「役に立つ」を超えて行け! (2013/03/31)
- 教員であるということ (2013/03/29)
- 教員は学び続けるべきだが (2013/03/08)
- 大学院修士「共通選択科目」の意義 (2013/03/01)
- 世代論としての“沈滞” (2013/02/21)
- 「学校」とは楽しいところ (2013/02/05)
- 全学級35人断念=「費用対効果」への疑問 (2013/01/27)
- 誇りと現実の報酬 (2013/01/24)
- この年代に不運が続くのはなぜ? (2013/01/15)
- 体罰へと至る空気 (2013/01/13)
- 「面倒見が良い」とは何か? (2012/12/25)
- 高校教育・大学入試・大学教育 (2012/12/18)
- この時季の高校3年生 (2012/12/14)
- 「脱ゆとり」という評価でいいのか (2012/12/13)
スポンサーサイト
tag :