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母校の変様

2013-01-26
期待に胸を踊らせて初めて入った教室。
美味いかどうかは別として友人と語り合った学食。
狭いながらも夢中で野球の練習をしたグランド。
母校の光景を思い出せば、様々な先生・友人の顔が思い浮かぶ。
とりわけ成長期である中高の校舎というのには深い愛着があるものだ。
学校は、その当時の自分を物理的に保存してくれている唯一の空間だ。

少々用事があって母校を尋ねた。しかし上記のように感慨深くはなかった。母校は事情があって他の土地に移転していたからだ。当時より広いグランド、自然も多い環境。野球の練習をしたらさぞよかろう。だがしかし、その空疎な印象を放つ校舎からは、それが自分の母校だという気持ちには到底なれなかった。
授業中ゆえに当然なのかもしれないが、建物全体がやけに静寂であり、覇気を失ったかの如く、TVドラマのロケでもしそうな校舎の雰囲気に対して、空疎な気持ちだけが込み上げて来た。

少子化による統廃合を始めとして、様々な理由で学校の移転は珍しくはない。子供達がたくさんいた昭和は過去のものとなり、使用されない教室が大量にある学校も多い。都会の環境も多様化し新たなる用途が適していれば、校地とて例外なく商業主義の波に曝される。母校の思い出は、僕たちの心の中だけに宿るしかない。

父子二代にわたり同じ学校に通った。僕が入学したとき、その古びた校舎を指して父は「あれが新校舎として建った頃だった」と感慨深げに語った。そして校舎を見上げつつ、当時の友人たちとの“悪戯”の数々を語り、少年のような表情をしていたのを今でも覚えている。母校にはそんな伝統があった。父が“悪戯”の対象にした新任教員が、僕の時には校長に就任した。父の中では今でも、その母校で得られた友人関係が宝物のように貴重な存在となっている。僕もまた同じ。同じ野球部で過ごした友人とは、今でも親しく交友している。そんな人と人との関係には、決して褪せない色彩がある。

それでも、もうあの校舎はなく場所も違う、
ということを受け入れるのはそう容易ではない。
物理的な環境はやむなく変化せざるを得ないのだろう。
最初に教員として勤務した思い出の高校も校舎が移転した。
初めて教壇に立った日の〈教室〉はもうない。

無常ということ。
学校の伝統と栄枯盛衰。
ソフトがしっかりしていればとは思いながらも・・・
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