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「ひとりぽっちの夜〜」がいいね!

2013-01-16
どなたでもよく知っている「上を向いて歩こう」の歌詞、
その最後の部分をあなたはどう覚えていますか?
「ひとりぽっち」か、
「ひとりぼっち」か。
こんな点に関して、辞書編集に携わる大学の先輩が連載コラムを記していた。
(リンク)
日本語どうでしょう?

最近では「ひとりぼっち」と濁音で読む(唱う)人が多く(昨年大晦日の紅白での徳永英明)、また辞書項目やNHK関係者が拠り所とする『ことばのハンドブック 第2版』でも「○ヒトリボッチ ×ヒトリポッチ」とされているという。だが当該曲の作詞家・永六輔さんは「ひとりぽっち」にしているという。果たして、この濁音(ば)と半濁音(ぱ)の交換的錯綜はどんな実相から生じているのだろうか。

おおむね、濁音というのは「賑わしい」印象を放ち、半濁音は「寂しい」印象を醸し出すというのが、このコラムを読んだ直後の僕自身の語感である。
「ドンドコドコドコ、ドンドコドン」
「ダダダダダダダダ」
「ザワザワザワザワ」
「バンバンバン」
「ビビデバビデブー」
「ボボンバボンボンバンババン」
「ベッタリベタベタ」
「ビビッター」
等々、擬音語・擬態語で喧騒の風景を表現することは容易だ。
それに比して、
「ポツント」
「パット」
「プット」
「ペロリト」
「ポロント」
等々の擬態語は単発的な印象が強く、あまり連続的な喧騒を表現しない。
仮に
「ピピピピピピピピピピ」
という擬音語だとしても単独の「ピ」が積み重なったもので、元は一個体という印象が拭い去れない。そういう意味では、「ひとりぽっち」の方が歌詞の内容に沿った表現と言える。

ハ行の濁音・半濁音の異動は日本語においてよく起こる現象である。
ある時、アメリカ在住の日本人から「年俸」という語は、
「ネンポウ」と読むのか?
「ネンボウ」と読むのか?
と問われたことがある。
漢字としての音読みは「ホウ」であるから、
「ネン」との連接で濁音化して読む語である。
国語辞書的にはもちろん「ネンポウ」と読むのが標準のようだが、
アメリカスポーツ選手の「膨大な俸禄」(ボウダイナホウロク)という話題であったのに乗じて、「ネンボウ」でもいいような気がすると発言し、国語を専門とするのにいい加減な奴だと揶揄されたことがあった。この時を思い出すに、やはり濁音にこそ「賑わしい」という印象が僕の中に根付いていたのであろう。公共の場でも読み間違い易いとされるこの語彙は、むしろ濁音とも半濁音ともつかない、「ネン(ポ・ボ)ウ」ぐらいが丁度いい感覚がある。それは正しい間違いという問題ではなく、既に表現者の意図レベルに回収されるような気がしている。日本の漢字教育は、やたらと些細な正誤を取り沙汰する。

またNHKのアナウンサーが、頻用される語彙「依存」を「イソン」と読むのは有名な事項だ。これは同音異義語「異存」を「イゾン」と読んで、音声上の区別を明確にする為であるという。確かにその事情を知れば、聞くだけでも区別はしやすいのだが、どうも「依存」を「イソン」と濁音化させないのは、違和感が拭い去れない。(と個人的に思っている。)これもやはり、「他の存在に依り掛かる」という語義として存在感の鮮烈さが、「ゾン」を好ましく思う個人的語感に原因があるように思われる。


「パン・バン」
「ピン・ビン」
「プン・ブン」
「ペン・ベン」
「ポン・ボン」
朗読表現として作品の文脈にどう寄り添うか。
ハ行の濁音・半濁音は
実に奥深い日本語表現の深淵を提示してくれる。
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