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センター試験と日本の教育

2010-01-18

17日(日)この一両日で今年の大学入試センター試験が行われた。目立ったトラブルは無いものの、インフルエンザや大雪の影響で、過去最高の961人が追試受験に回ったそうだ。大手予備校は競ってWeb上に解答速報や問題分析を掲載。科目ごとに昨年より難化か易化かと、それぞれの見方を提示している。

 「国語」の問題を見ると、
?評論=易化(文章が短くなった)
?小説=昨年並み(ただし会話文が多い)
?古文=難化(和歌が多く選択肢が選びにくい)
?漢文=難化(新傾向の設問あり)

 おおむね以上のような傾向と難易度と分析されているようだ。(もちろん予備校により見方は違う)しかし、難易度といっても何を基準に言うかということが大切であり、「選択肢が選びにくい」というのも、客観式試験では当然のことかもしれないし、「設問に新傾向」といっても、思考を施せば難なくこなせるはずであり、そうしたことに翻弄されるということ自体が、順応性を欠くということなのかもしれない。

 ただ受験生にしてみれば、この試験に多くの望みを託している。国公立と私立を含めて複数の志望校の合否が、この一つの試験によって決定されるからである。この後の個別試験であれば、一試験に対して合否結果は一つ。しかし、私立大学の利用拡大で、センター試験の意味は、とても大きくなったと同時に、重荷になったといえようか。

 それゆえに、全国で不公平感がないように、その実施マニュアルというのは厳格であり、詳細なことまで規定されていると、親戚の大学教授の話として聞いたことがある。この日の新聞意見欄にも、英語のリスニングに個別な機械を利用して、試験会場では音を立てないようにと、試験官に対しても厳しい注意事項があるという点が指摘されていた。教室で放送により実施すれば済むのではという提案でもあった。

 少子化の影響で、大学受験も年々変化してきている。しかし、こうした一発試験のあり方や、その出題方法などが検討され、改善されるということにおいてはあまり変化がない。世界基準の中での学力低下が問題視されているのなら、やはりこの大学入試の大きな改革が必要だろう。そうしない限り高校教育も変わらない。それはどうしても受験に絞った教育内容となる学校が多く、OECDが行うPISAなどとは違った方向の学力観による教育内容となってしまうからだ。

 一発試験であるから、その偶発性に助けられて、大学受験を突破したという経験をお持ちの方もいるだろう。客観式問題形式が多ければ多いほど、実力を伴った確率論の上で、解答がなされていくようになるからだ。それに対して小論文や記述式による個性的な答案を求めている大学に、世界規準への視点が意識されているようにも思う。

 大学入学後の教育のあり方も含めて、日本の教育制度の見直しが、今こそ求められているのではないだろうか。その内容をアメリカなどと比べた時に、様々な点でお粗末なことが目立ちすぎるように思う。

 などと入試と教育改革を提言しても、受験生にとっては直面した入試が全てだ。複数の高校生から、試験の出来如何のメールが届く。自分の為した結果から目を背けない勇気を持つということこそ、人生にも必要な姿勢でもある。そこで「思い通りにはならない」という経験も、後には大きな糧になるものだ。センター試験が全てではないのも事実。

 一日、センター試験のことを身近に感じて、夜は「龍馬伝」に引き続き「NHKスペシャル 巨大地震?」。この日は、阪神淡路の大地震から15年目でもあった。「明治維新」のあり方から「地震大国日本」、そして「教育の現状」などなど。この日本が考えねばならないことは、様々なところから顔を出しているという思いにさせられる。

 就寝前は、俵万智著『短歌をよむ』(岩波新書)を読み始める。
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