初詣で効用を得るには
2013-01-05
日常から神社仏閣への信仰がなくとも、初詣に行く方は多いだろう。三が日に何万人の人出などという結果を見ると、そうとしか思えない。その刹那的な“信仰”においてどんな効用が得られるというのだろうか。僕が考えるに、初詣は他力本願的な効用があるわけではなく、そこに出向いて祈願することで、これから始まる1年に対する精神的な“構え”を産み出すことが大きいということだろう。
昨日の朝日新聞夕刊1面に、「合格祈願代行 御利益は」の記事。寸暇を惜しむ受験生らを対象に、代行して祈願をする業者があるという。しないよりは代行でもした方が、精神的に落ち着くというなら効用も全くないとは否定しないが、果たして受験生本人に、どれほどの“構え”ができるのかと疑問も禁じ得ない。
受験を始めとした関門を越えることは、もとより本人次第。他力本願であること自体が邪道であるということにもなろう。自ら祈願することで、受験直前の精神状態を確固たるものにする。それでこそ初めて効用が生じるように思われる。
最終的に祈願する対象は、自分自身ということになろうか。
生きるとはそういうことである。(ように思う。)
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