箱根駅伝をどう観るか
2013-01-04
駅伝という独特な長距離競走が日本にはある。個人の力を重ねてチームで1本の襷を繋いで行く。それは「“足し算”ではなく“掛け算”となって、遥かに大きな力を生み出すようだ。」という過去の駅伝ランナーのことばがCMで流れていた。組織力と協調性を力にして各大学チームがしのぎを削る。母校が出場していれば、その順位に一喜一憂する2日間ともなる。過去には母校の応援で大手町のゴール地点に出向いたこともあった。だが、ラジオを聞きながら、帰って来るランナーを待ち受けるのは意外と退屈でもある。もちろん現在ならば携帯等でTV中継を観ていればいいのだろうが、当時はレースの状況が見えない中でゴールのみ観るのは、何とも無味乾燥な気もしていた。やはり駅伝はTV中継を見守るのが何よりの観戦場所だ。
今年は自宅近所の馴染みのカフェ店長に誘われて、お店でともに復路の状況を観戦した。しかも店長は、大学時代に箱根を走ったことのある正真正銘のランナーである。その経験によって語られることばをも楽しみながら、他の常連さんご夫妻とともに、駅伝の魅力を今まで以上に堪能できた。自分一人で観戦していれば、言いたいことも心の中かTwitterで呟くことになるが、ランナー経験者を含め、母校を同じくするご夫妻との観戦は実に面白かった。
仕事上、どうしても批評的な視点で観戦してしまうことも多いが、それが独善的な偏見であることにも、自ずと気付く機会となる。TVが伝えている映像を、どれだけリアルに享受できるかが重要であろう。実況中継のアナウンサーが高揚した口調でその競技を語る中で、いかに真実の姿に迫れるか。それは一種の“メディアリテラシー”が試されているともいえよう。
そんな中から、冒頭に記した「組織力・協調性」とは何かを改めて考えてみる機会になる。極限の走りをしているランナーにおいては、「チームのため」が象徴された襷を繋ぐ為に、無理を押しても走り続けようとする。今回も往路5区で2校の途中棄権が出てしまった。そのランナーの心境を考えるに、想像を絶する悔恨や悲嘆があるだろう。「組織力・協調性」とは、そんな当事者ランナーに対して、ぜひとも寛容であるという範囲までを言うべきものであって欲しい。
何事も結果は重要である。だが「勝利至上主義」による個人への攻撃的な視点というのは、何としても避けるべきであろう。ましてや、TV映像を通して見守る視線においては、様々な個々を重視する態度が欠かせないと思われる。何はともあれ、一度は現場で彼らランナーの走りを観てみる必要性も感じる。その驚異的なスピードで、長距離を走り続けていることを肌で感じるべきだ。そして実際に自分が長距離を走る機会があると、まったく駅伝への視線が変わる筈である。
他の何事においても、現場のリアルを知らずに非難のことばを浴びせ掛けていることが、世間には山ほどあるだろう。本当の「組織力・協調性」とは何か。それが日本人的特長であると解することが許されるならば、箱根駅伝は僕たちに「現実を知ること」を問い掛けているようにも思える。メディアが劇的な虚飾を施して語る映像や記事を、どのように解して行くか。僕たちの理性が問われている。
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