煮しめ・雑煮・すき焼き
2013-01-02
大晦日は実家で夕食を、そしてこの元日は僕の自宅に両親がやって来た。年末年始の料理といっても人それぞれに様々であるが、それは殆どが「おふくろの味」ということになるのではないだろうか。僕の場合は、やはり正月になると「煮しめ・雑煮・すき焼き」の三種が欠かせない。重箱に詰められた煮しめ。八頭(里芋の一品種)・人参・蓮・などの野菜類に加えて、厚揚げ・雁擬き・竹輪麩・蒟蒻などが所狭しと並んでいる。重箱などは、この時以外は使用することもないが、それだけに正月ムードの象徴のような存在となる。(もちろん、母親の手製である。)
鶏肉だしで醤油味。雑煮というのは、実に地域性の強い料理だと、民俗学的なエッセイで読んだことがある。具材がどれほど入る否か。肉の種類は何か。味付けは醤油か味噌か、等々と地域によって日本全国多彩な「お雑煮」が存在する。元来、「雑」というのは「まじる。まじわる。」とあり、「いろいろなものがひと所に集まって入りまじる。」(『漢字源』)という意味である。各地域の特産物を中心に、煮込む物に“規則”があるわけではない。まさに多様性のある一品ということができよう。「お雑煮とは?」という問いを発すれば、たぶんその人の出身地がおおむね判明する。というより、その人の“母親の出身地”という方が正確かもしれない。
「すき焼き」もまた関東と関西で多少の違いがある料理であろう。牛肉を食用とすることは幕末以後のことであるようだが、文明開化の流れ乗り一気に流行した高級料理ということになる。次第に東西の交通が至便になると、料理の性質も交流していったような歴史を読み取ることができるようだ。現在では「牛丼」という実にカジュアルなメニューとして、日本全国津々浦々類似したものが味わえる。むしろそれだけに産地を特定し高級牛肉を使用した特別な料理として、僕の中ではお正月に欠かせない一品だ。
日本国内でもその料理を考えるに、多様な“異文化”が存在している。いや存在していた。交通事情の高速化、情報の多様な交流などにより、その多様性が一元化しつつあるのも事実であろう。この小さな島国の美しさというのは、「異文化」を相互理解し、自らの文化と比較・融合して行くことであったはずだ。個々の地域での多様性を廃絶し、「日本」として国の総体が美しいとするのは、単なる幻想に過ぎない。むしろ伝統的文化の無視なのではないかと思うゆえである。文化を重視するということは、「個」を尊重するということである。
自分がどんな地域文化の中で育って来たか。
今一度、各自がその多様性を受け止めたい。
正月料理を食すにあたり、こんなことを考えてみた。
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