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「For The Team」という思考

2012-12-30
昨日の小欄には、松井秀喜について僕自身の思い出を綴り、大絶賛する内容を書いた。だが、殆どの人が彼を悪く言わない理由を知りながらも、気になることが一つある。それは松井が貫いた「For The Team」という思考である。その姿勢は日本球界のみならず、MLBの選手達にも賞讃されたのは事実だ。だが、この数年の契約状況を鑑みるに、単に「結果が出せない」のみではない何かが作用していたように思えてならない。敢えて言うならば、MLBと日本球界の評価基準の違い。大きく言えば、日米双方の根本的思考の違いの中で、松井秀喜はシーズン最後までユニフォームを着ることができない状況に陥ったとも言えるのではないだろうか。

甲子園で全打席敬遠をされた時、松井は「敬遠も(チームが勝つ為の)戦術ですから」と淡々としていた。そしてどの打席でも嫌悪感を露わにはしなかった。高校生としてこれほどの人格者がいるだろうか。巨人軍に入団してからもその姿勢は変わらなかった。ファンがどんな反応をしても松井は“いい人”だった。むしろ僕などは、そのファン側の反応に憤慨したのは、昨日も記した通りだ。MLBに行ってもまた同じ。インタビュー等でも「チームが勝てたのが何よりだ」といった発言が目立っていた。長年在籍した“ヤンキースの為”に松井はプレーしていた。その証が、09年のワールドシリーズMVPという結果であろう。

松井を尊敬する一野球ファンとして、僕が再び憤慨したのはこの時だ。ヤンキースという球団は、ワールドシリーズMVPと翌年以降の契約を結ばなかった。手首や膝の怪我で窮地に追い込まれていた松井にとって、このワールドシリーズの舞台こそ、次年度以降の契約を勝ち取る為のアピールの場であった。そこで松井は堂々たる結果を出した。しかし、松井の“気持ち”は球団には伝わらなかった。こんな契約状況は、MLBを観ていれば常にあることで、さして目くじらを立てるほどのことではないが、日本球界の理屈からすると、ファンとして甚だ憤慨しなければならない出来事であると思っていた。

その結果、エンゼルス・アスレチックス・レイズと渡り歩く選手生活晩年の中でも、松井の姿勢は貫徹されていた。レイズに移籍した初打席で好機に本塁打を放ったのは記憶に新しい。ただ、膝の状態でDH(指名打者)のみでしか起用できないことや(それでも守備について奮闘していた時期はあるが)、格段に本塁打が多いわけでもないという選手としての要素を、MLB球団が高く評価することはなかった。殆ど「結果=数字」が全てのMLBの非情な世界で、松井が貫徹して来た「For The Team」という思考は高くは評価されなかったともいえるだろう。僕たちファンが、ついつい日本球界復帰を望んでしまう感情の機微も、実はこのような日米球界の、大きく言えば日米社会の断層における大きな齟齬を根強く含み込んでいるのではないかということである。

敢えて端的に物申すならば、MLB(米国社会)で仕事をするには、“いい人”だけでは通用しないということにもなろう。松井秀喜は、あくまで「日本的人格者」であった。彼を尊敬する僕としては、このことを批判するつもりは毛頭ないのだが、彼自身が言わないからこそファンとして気付く責務があるのではないかと思っている。大概、松井秀喜が好きか、イチローが好きかという二項対立の問いになると、ファンが明確に二分する。「For The Team」の姿勢を貫く松井ファンから言わせると、イチローが個人成績のみに賭けてきた(ように見える)マリナーズでの姿勢を批判する。ましてやWBCの折に、イチローが「日本代表の為」という姿勢で野球に賭けると、松井ファンはイチローを揶揄していた。「なぜ日常で「For The Team」ではないのに、この時とばかりそうなのか」と。一方で、WBCに関して言えば、松井秀喜は所属への「For The Team」を貫き、シーズン開始前(3月)に開催されるこの大会には、2度とも出場していない。僕としては一度ぐらいゴジラが「For The Team」を捨てて、日本代表のユニフォームを着るべきではなかったかと痛切に感じていたのである。ワールドシリーズMVPになっても次年度契約を結ばない屈辱に比べたら、シーズン前に「日本代表」のユニフォームを着ることぐらい、何でもないことであろう。(少なくとも松井を尊敬すると言っていたヤンキースのスーパースター・ジーターは、米国代表のユニフォームを着ている。)

節度もなく、今日も松井秀喜引退に関して考えたことを書き連ねた。
だが、ここに日米球界の思考の齟齬と
大きく言えば、日米社会における断層の大きな歪みが見えて来る気がする。
「For The Team」という思考を持ち出しさえすれば、
それを美徳として日本人は納得する。

僕たち日本人にとって松井秀喜は、宝のような野球選手であった。
だからこそ、本人の感情の如何は別として、
ファンとしてこの日米格差に自覚的になるべきだと考えている。
日本野球と日本社会の未来の為にも。
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