居住地域のCafé忘年会
2012-12-24
居住している地域に気の置けない仲間がいるか?東日本大震災以後、特にこんなテーマについて深く考え、そして行動をして来たつもりだ。マンション居住で管理費のうちから町内会費は支払っていても、なかなかその町会行事に顔を出す機会にも恵まれない。これは僕自身の育って来た感覚からすると、あってはならないことであるが、ある意味で僕も「東京人」と化しているのかもしれない。そんな自分なりの課題を解決してくれているのが、近所の馴染みのCafé(小欄にブログリンクあり)である。開店当初から偶然にも足を運び、店主夫妻との人間的な交流を楽しませてもらっている。お店の1周年・2周年の会では、落語や朗読をやらせてもらった。そしてこの2年間、「文の京12時間リレー」に常連仲間のチームとして参加して来た。この日は、Café主催の忘年会。実に楽しい時間を仲間たちと共有することができた。
店主が素人落語を愛好していることもあって、この2年ほど大学の研究会を通じて落語に取り組んで来た僕とともに、こうした機会には一席披露することが恒例となっている。この日僕は「親子酒」、店主は「御神酒徳利」を披露した。僕の方は、「酒呑み噺」に初挑戦。登場人物が次第に酒に酔って行く過程や、泥酔した時の台詞が見せ場となる。枕としてどれほど酒にまつわる小咄などを盛り込めるかにも腐心した。僕自身としては納得したできとは言えないが、忘年会に先立ち「酒呑み」のあり方を可視化して提供できたのは、なかなかよかったのではないかとも感じられた。勿論、店主の一席も次第に聞き手を惹き込む巧妙な展開。にわか占い師が算盤を弾くたびに、なぜか運命が開けて行くというおめでたい噺でお開きと相なった。
このように、15名という地域に居住する方々の前で、落語を通したライブ空間を創造することができた。全員の顔が見える、そしてお互いが親交を深めて行く機会。(もっとも僕自身は、「親子酒」の演目上、次第に仮想的に酔った気分になって来て、皆さんの顔が何重にも見えてしまったが)その後は、楽しく談笑する時間が過ぎて行った。
まさに年を忘れ、時間を忘れるひととき。その最中には、今年開催された第50回民謡「江差追分」全国大会で優勝した方(道外優勝者は初)の“特別公演”もあった。まさに日本一の歌声をライブで僕たちは共有したのだ。落語に民謡という古典芸能が彩りを添え、地域での仲間たちとの心が豊かになる時間が過ぎて行った。
地域の方々とどんな交流を持つか。これは“都市生活者”の大きな課題ではないのだろうか。その課題に居住地域のCaféが一つの示唆的なあり方を体現してくれている。そして勿論、僕個人としてもこのCaféで様々な話題を語ることで、この2年半ほど精神的に救われて来たことも数知れない。店主ご夫妻の優しさ温かさと社会的問題意識の高さは格別である。
名に違わぬ“年忘れ”。
ある方が会の最中に発した名言。
「忘年会」の「ボウ」を「望」にしましょう!
皆さんの新しき年が、「望み」に満ち溢れていますように。
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