高校教育・大学入試・大学教育
2012-12-18
先日、AO・推薦入試大学合格者の高校3年次勉強時間が、1時間以内であるという報道を目にした。センター・私大・二次試験と進み2月頃まで必死で受験勉強に取り組む一般入試受験者との学力格差が、更に拡大していると伝えていた。これは報道のみならず、僕も日常的に実感していることであった。それは基礎的な知識・教養といった即座に目につく内容において、明白な差となっていると思われる。だが、あらかじめお断りしておくが、AO・推薦入学者にも大変優秀で努力を積み重ねている者もいることは事実である。概して大局的な傾向であると捉えておきたい。高校生の場合、12月に行われる最後の期末試験を見ると哀しくなる場合がある。AO・推薦入試合格者が、それまでの試験では考えられないような点数となるからである。大抵、1学期の成績までが推薦受験出願に提出される調査書に表示され、合否判定の材料となる。それゆえに、1学期まではかなり優秀な成績を“狙って”来る。それが合格した途端に勉学意欲が減退するわけである。少なくとも、それなりの大学への入学が決定しているなどと話を聞くにつけ、その大学へ入学するにあたり、この程度の教養を持とうとしないのかと疑うほど、基礎知識問題なども投げやりな解答しかしていない者も少なくない。合格が決まったのならば、せめて学校の試験ぐらいは今まで通りの姿勢で臨んで欲しいものである。
大学生になってからも、この格差傾向は否めない。中には「(自分は)推薦入試で入学してしまったので(学力が低い)」という趣旨のことを自ら述べる者もいる。となると、学生の中においてもこうした捉え方が自覚的に蔓延しているということだ。レポートでの基礎的語彙・漢字の変換ミス・誤字脱字・基礎的な文章構成等々、大学生としての基礎的知識・教養において大変劣る傾向が顕著である。もし「推薦で合格してしまった」という自覚があるならば、それこそ自らこうした基礎知識を学んでおくべきなのだが、なかなかそれほど自分の学力に敬虔な姿勢を持つ学生は稀である。
AO・推薦入試というのは、前者は高校生活(それ以前を含め)での特技・一芸等を対象に、学力のみならず生活全般の活動や人間的な要素をもって総合的に合否判定をするという理念が一般的であろう。後者は、主に高校での学習成績を基準に合否判定が為される。そこで基準となる最低限の学力を、高校の教育が保証するから成り立つものとも考えられる。しかしながら、この基礎知識・教養という面で、どれほど高校教育が機能しているかという点にも疑問符が拭い去れない。更にいえば、思考力・表現力に至ってはかなり厳しい状況といわざるを得ない。問題の根源は、高校での学習のあり方をどう改善するかという点を、まずは考えねばならないのではないか。
高等学校教育
大学入試制度
大学基礎教育
この問題は、必然的にこの連鎖的関係を考慮して改善しなければならない。
若者が複雑な思考を忌避し、
物事を精緻に考えることを拒否したら、
どれほど恐ろしい社会になるか。
僕自身の責務としても、
こうした問題に正面から取り組みたい思いである。
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