選挙で語られることば
2012-12-10
東京都知事選挙に加えて衆議院議員選挙が1週間後に迫った。各候補者や政党の顔たる人々が、様々な場所で有権者にことばを投げ掛けている。僕は以前からライブ性を重んじるがゆえに、なるべく候補者の生の声を聞く機会に出向くことにしている。だがしかし、今回は1週間前にして未だ生の声を聞いてはいない。もちろん、候補者自身が街宣車に乗り、家や職場の近辺を通り過ぎるといった偶発的な場合を除くのであるが。ことばを生で聞きたいという願望もありながら、そのことばへの信頼度に揺らぎがあるゆえに、積極的な行動にならないというのも一因かもしれない。同時にこれほどの政党乱立状況の中で、全ての政党の主張を聞くには、年の瀬は忙し過ぎる。ある党の代表(代行)が、選挙期間中もWebでの発信を続けているがゆえ、それを公職選挙法に抵触するのではという指摘が官房長官から為されたという報道もあった。かなり多くの人々が、新聞・TV・ラジオ等々よりも、ほとんどの情報をWebから得ている現実を鑑みるに、公職選挙法の方が過去の遺物になっているという印象を禁じ得ない。それでいてWeb画面の脇に出る広告などには、いくつかの政党広報が載っているだけに、余計にそのような感情が膨らむ。Webの選挙利用が他国に比べて遅れているのと同時に、日本のSNSを始めとするWeb上のことばのあり方が、実に匿名性の上に則った無責任な状況に満ちているかということの帰結であるようにも思える。
選挙公約、いわゆるマニュフェストの信頼性が著しく損なわれた今、僕たち有権者は何を規準にして投票に臨めばいいのだろうか。新聞を開けば、やはり各党の広告がかなりの紙面を割いて掲載されている。ただ、そこから感じるものは、希望というよりどれだけの広告費が選挙資金として投入されているのかという、“無駄”への懸念でしかない。より候補者と有権者が、密接に意見交換できる機会を創り出す為には、費用対効果という意味でもWebに優るものはないようにも思えて来る。
憂いていても仕方がない、投票は1週間後だ。僕たちは何らかの政権の枠組みを選択すべく一票を投じなければならない。それならやはりこの1週間は、時間さえあればライブ性のある場で、生のことばを聞くことしかないかもしれない。世論調査と現場の反応に齟齬が生じるというのは、よく聞く話だが、その境目をこの目と耳で見定めなければならない。他者の意見を公に聞き尊重し理解し、そして自らも意見を持ち他者と語り合うという思考の撹拌を、身近で行う環境をせめて求めなければならないだろう。僕たち自身の思考のあり方が逆説的に問われているのが選挙であるともいえよう。
選挙とことば
この密接な関係から考えることは山積している。
全てのことばの信頼性を
せめて回復すべく一個人として努めたい。
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