『聞く力』による授業活性化
2012-12-09
今年のベストセラー本は、阿川佐和子氏の『聞く力』(文春新書2012・1)であるという報道があった。僕自身が4月に出版した著書の参考文献にも、早々に掲げた一冊であった。その目次には、「面白そうに聞く」「安易に「わかります」と言わない」「聞きにくい話を突っ込む方法」「知ったかぶりをしない」「相手のテンポを大事に」といった「聞く」ための重要な心得が並んでいる。阿川氏が長年リポーターとして経験して来たことに基づき、「聞く」ことの難しさと大切さが紹介されている。著者本人も冒頭で述懐しているように、決して読みやすい文章・文体であるとは思えないのだが、その経験に裏打ちされた相手を尊重する態度には注目に値するものがある。リポーターといった「聞く」職業のみならず、日常においても相手を尊重して「聞く」ことの重要性を再確認すべきであろう。巷間では、己の殻に閉じ籠った発想しか持ち得ず、対面している相手を「視野に入れない」かの如き態度が顕然化している現状を危惧するからである。公共交通機関の中での些細な会話・飲食店での注文を通じたやりとり・物品販売の売場での会話等々、僕たちの日常コミュニケーションのあり方を、多くの人々が見直す必要性を痛感している。
「聞く力」というと、もちろん授業において学習者が持つべき重要な意識ということもできよう。学習する側が先述した阿川氏著書の目次にあるような態度を励行すれば、指導者は計画していたこと以上の内容を提供したくなる。いわば“サービス”が確実に向上するはずだ。それは授業の本筋のみならず、“雑談”と思われる分野でも同様だ。それを「面白そうに」聞いてくれれば、僕の場合などは次から次へと舌が滑らかになる。すると結果的には、学習者の利益になる発想を伝えることに繋がっていることが多い。こう考えると授業というのは、十分な準備をした指導者から、「聞く力」のある学習者がその内容を活性化して引き出して行く様態が理想的といえるであろう。いや、欧米の教育現場では、こうした発想が常態化しているともいえる。
「授業に参加するということ」
=「理解すること」
=「質問をすること」
なのである。
もちろん昨今においては、日本でもこうした双方向性のある学習者の積極性に支えられた授業をあるべき方向として模索している。授業はそこに参加する全員で創り上げるものである。参加者の多様な発言を通じてこそ、学びが活性化するのである。同時にこうした姿勢で授業に参加することで、自ずと「聞く力」が身に付くことになる。なぜ対面で〈教室〉での授業をするのか。通信手段が発達した現在では、映像を使用した授業のあり方も諸方面で模索されている。だがしかし、やはり授業はライブ性こそがその真髄ではないのだろうか。
このような『聞く力』の紹介に基づいた話を高校生にすると、
最初はきょとんとしていた。
それはどうやら「菊地から」というように聴解したようであった。
確かに「きくちから」とキーボードでこうして打っても、
「菊地(から)」という姓に変換される。
日本語の同音異義の妙である。
それを訂正するやりとりの中からたぶん
『聞く力』という書物も印象づけられて行くのであろう。
こんなライブ性こそが授業の妙でもある。
相手を尊重して聞く態度。
どんな場面でも大切にすべきである。
それを啓発するのも、僕たちの役目なのである。
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