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『西行物語』から読めるもの

2012-12-01
西行といえば、平安時代末期の僧にして歌人として有名である。俗名を「佐藤義清」といい、北面の武士として鳥羽上皇に仕えるが23歳で出家。諸国を行脚しながら、豊かな自然詠や深みのある人生観を多く和歌に遺した。歌集(私家集)に『山家集』がある。ここに代表歌を何首か挙げておこう。

 なげけとて月やはものを思はするかこち顔なるわが涙かな

 心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮

 願はくは花の下にて春死なむその如月の望月のころ


 その西行の生き様を語った説話に『西行物語』がある。彼の諸行を知る上で、後世の文人たちへの影響も大きかった作品である。その一節に、出家を志す西行が、帰宅した際に愛娘がすがりくるのを縁側から蹴落としてしまうという衝撃的な場面がある。仏教の教えに、「第六天の魔王」という欲界に存在する魔王が、現世の人間が仏道に入るのを邪魔する存在として、妻子の姿になって出現するというものがある。西行が一時はこの愛娘を思うがゆえに出家を思い止まるが、この教えを知るがゆえに最後には娘を蹴落とすという行為に至ると説話は語る。

出家において、妻子は「絆(ほだし)」と認識され、「人を束縛するもの。何かをする際の障害となるもの。」という位置づけとされる。元来、「絆」は、「馬の足を縛る綱。人の手足を縛って自由を束縛する綱。手かせ足かせ。」のことを指す。仏の道に仕える身となるためには、俗界における愛情が煩悩として障害となるということである。古典文学には出家にまつわる話題には事欠かないが、いつの世も俗世間と自己との狭間で悩み苦しむ人々が多いということであろう。

出家し諸国行脚による歌詠がなければ、西行がこれほど後の世に名を遺す存在にはなっていなかったであろう。「絆としての妻子」という発想は、何とも冷酷な印象も抱かざるを得ないが、人が生きるということは何であろうかという原点を深く考えさせられる。人は時に人情に溺れ、自らの生きる道を見失う危険性もある。「情に棹させば流される」こともあるのだ。

『西行物語』の一節は、
時に冷淡にも
時に情熱的にも
読者の心に響くのだ。
古典から学ぶものは実に計り知れない。
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