「ひとにくしとお(も)はれ」は語る
2012-11-30
平安時代の右大臣・藤原良相(よしみ・813〜867)の邸宅跡(平安京)から、墨で文字が書かれた土器の破片、約20点が出土したという。文字のない破片を合わせて約90点。これらは1200年前のあり様をどのように語るのだろうか。ある皿の裏には約40文字が書かれており、ひらがなと漢字が崩れて仮名になる過程を示す「草仮名」が認識できるという。まさに最古級のひらがな表記資料ではないかと、その調査にも期待が寄せられる。特に意味が解せる部分として、「ひとにくしとお(も)はれ」が、朝日新聞に紹介されていた。( )内は欠損部分で推測であるが、「人憎しと思はれ」と解釈可能な資料である。この当時の平安朝における文字に対する認識として、“漢字”が正式な文字として朝廷官人を始めとする男性が使用し、「真名」と呼ばれた。一方、ひらがなは“仮の文字”ということで、当時社会的地位の低い女性が使用し「仮名」と呼ばれた。紀貫之作『土佐日記』(935年以後の成立)の冒頭には、有名な「男もすなる日記というものを、女もしてみむとてするなり。」とある。
こうした社会通念からすると、今回の土器に記された文言も“女性”が記したという推測がまず思い浮かぶ。「人憎し」という内容からそのように誘導されて考えるのは十分慎重であるべきだが、高位なる貴族邸宅からの出土と考えると、やはり男性は漢文で記すことから脱しえない時代であるはずゆえ、女性が皿に書き記したというのも、あながち間違いではあるまい。果たしてどのような状況をもとにこの文言は書かれたのであろうか。ついついその先にある“物語”を妄想してしまう。
抑が、平安朝の女流日記文学等では、「人(男性)」に対する「憎し」とする心情が多々表出される。男性中心社会の中で、卑下された女性たちが「ひらがな」という文字を獲得し、自らの思いを自由に述べられるようになった。書くことで、蓄積された鬱憤を何とか晴らしていたともいえるかもしれない。やはり表現することには大きな意味があるのだ。また、そうした女性の日常の「声」が、初めて「文字」に記された資料ともいえる。実際の「声」を挙げられる場面が限られていたとすれば、やはり「文字」に遺すことで、社会が動き出したという側面を無視することはできない。この「仮名表記」の嚆矢とも思える資料の存在は、実に様々なロマンをかき立てるのである。
「ひとにくしとおもはれ」
表現することからコミュニケーションは始まる。
平安朝の人の「声」が聞こえるのも、「文字」が存在するおかげ。
あらためて日本語表記のあり方を奥深く考えてみたくなる出土である。
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