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「奇妙さに満ちた逆説的な存在」の如し

2012-11-27
僕たちは広告を見ることで商品の実態を判断し、購入するか否かを決定している。同時にその広告自体を楽しみ、興味を引かれ、果てはキャラクター等を購入することさえもある。元来、商品の価値を示し消費者の判断材料となるのが目的であった広告は、いつしかそれ自体が商品価値をもっている。このような「広告」のあり方を、「形而上学的な奇妙さに満ちた逆説的な存在」と評したのは岩井克人(『ヴェニスの商人の資本論』ちくま学芸文庫1992)であった。

名称やそれに含まれる理念は、時と場合によって形骸化への道を辿り頽廃しかねない。広告も商品の実態との「差異」がどれほど生じてしまうかという問題を常に孕んでいる。しかし、そうであっても他の商品との「差異」を生み出すことが「広告」の役割でもある。ゆえに、実に巧妙にあの手、この手で消費者の興味を引くような「広告」が存在するのである。もちろん、「広告」の存在そのものが、「競争原理」の中で揉まれ発展し、同時に衰退の危険性を常に含有しているということになるだろう。まさに「奇妙で逆説的」な所以である。

「広告」と呼称してよいものか?来月の総選挙へ向けた各党の理念の表明が、上記のような「奇妙で逆説的」という意味において、危うさを感じざるを得ない。実際にどのような「政治」(商品)になるのかが全く見えないままに、「広告」的に、名称と誇大な理念のみが先行しているような印象を受ける。消費者よろしく有権者である僕たちは、真のところ、どのような道を選んだらよいのかが、全く見えにくい情勢である。

元来、「政治」が「広告」のような資本主義的競争原理で動いているように見えること自体が、問題なのかもしれない。「マニュフェスト」は「公約」であるから、政権を獲得した政党が実行しなければならない「行動」が表明されているはずである。少なくとも実行すべき「理念」が示されていると、僕たちは信じていた。それが実に空虚な「広告」以下のものであることを実感してしまった。少なくとも「誇大広告」を見抜く力はあっても、「誇大マニュフェスト」を見抜こうとは思わなかった。「政治」と「経済」が違うものであると信じて疑わなかった一つの「信頼」が、この約3年間で瓦解したといってもよいだろう。

それだけに、今回の選挙でも各政党が表明している「政治」のあり方には、注意深く見識を高めて検討しなければならないだろう。政策が十分に合致していなくても、小さな政党同士が離合集散を繰り返している。未だに新たな政権の枠組みにおいて、どの党に(あるいは連立に)託したとしても不安しか残らない。政治家が語るとなぜか“崇高”に聞こえてしまう言葉を、実は「広告」にも匹敵する、いやそれ以下の実態を伴わないものであることを、僕たちは心得ておくべきかもしれない。

「奇妙さに満ちた逆説的な存在」
その批評を更にいかようにも顛倒させるような事態にあることを、
自覚するのは僕たち国民の責務であろう。
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