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優しき良心こそこの国の支えでは

2012-11-23
出張で夕刻の羽田空港へ向かった。3連休を前にしてスーツ姿の人々に混じり、ツアー客のような中高年も目立つ。比較的余裕を持って到着したが、小腹が空いたので、軽く麺をすする。たぶん米国で同じような状況なら、僕は一目散に保安検査場を通過するだろう。何しろ搭乗時間に遅れたら、まさに「自己責任」であるからだ。国内線という聊かな“甘え心”が、検査場通過前に軽い食事をする気持ちにさせた。

麺をすすりながら保安検査入口を見下ろしていると、更に人が増えて来た。どうやらかなり時間的に切迫して来たようだ。一転して列に並び保安検査を待つ。するとやはり思うように列が進まない。暫く並んでいたが、係員が「○時△分までにご搭乗のお客様は、3番ゲートをご利用下さい。優先的にお進みいただけます。」と案内した。僕のフライトは、係員が指定した時間よりは「5分」ほど遅い出発であったが、おもむろに「3番ゲート」に移動した。

セキュリティ検査を通過する前に、係員が僕の搭乗券代わりの携帯を光りにかざし、搭乗口案内の用紙を渡してくれる。「5分ほど後なのですが(ここに並びました)すいません。」と断ると、「とんでもない。お気をつけて」と笑顔で対応してくれた。その後は、もちろん余裕をもって目的の搭乗口まで行き着くことができた。

米国をよく訪れるのだが、たとえ乗り継ぎ便があっても頑に並んだままの列を遵守させられる傾向がある。ある時、ワシントンDCでもう限界だと判断した僕は、体格のいい女性係員に申し出たが、かなり無愛想に優先的に進むことを1度は拒否された。それでも乗り継ぎ便があるということを主張してやっと先に入国審査のゲートに通してもらった経験がある。僕が言い出したら、周囲にいた複数の人が(日本人が大半であったが)、「私も時間が迫っているので」と名乗り出た。ある日本人女性は、僕よりもだいぶ乗り継ぎ便の時間が迫っていた。

搭乗時間に間に合うか否かは「自己責任」だろうか。もちろん(自己主張をすることも含めて)そうも考えられるだろう。だが、特に日本の国内線という範疇で、遅れそうな事情の人々を優しく擁護する良心は貴重ではないかと思われた。僕のように(半ば確信犯的に)心得ながらも軽い食事をしてやや時間が押してしまった者もいれば、事情に暗く不慣れな人々もいる。保安検査が初めての人もいるだろう。全てを「自己責任」で縛るのではなく、弱者に温かい“良心”が見えたことがこのように考えた理由である。

この国は、実はこうした「優しき良心」で支えされているのではないだろうか。90年代から進められて来た「規制緩和」の波が、「自己責任」という理屈に市民権を与えてしまった。これは大学認可の問題等も同様であろう。それでもこうした空港の保安検査場で、ささやかな「良心」に助けられると、この国の素晴らしさを実感することもある。強引な力で「自己責任」に任せ自由競争を煽るような流れは、この国には適さないのでないかと思う所以である。

そんなささやかな「優しき良心」を
改めて大切にしたいものである。
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