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思考の撹拌は発信から

2012-11-22
担当するスピーチクラスも15回の折り返し地点を過ぎた。後半の課題として「新聞記事に対する意見」の回を迎えた。授業の冒頭で僕は「このスピーチの時季が、解散総選挙と重なるなんて幸運だね。」と発言した。学生たちはややきょとんとした表情を見せたが、「様々な日本の現状における争点が露わになるから」と理由を付け加えた。

そしてスピーチを開始すると、やはり「TPP参加」「エネルギー対策」「原発問題」「晩婚少子化」「いじめ問題」等々の話題が展開された。スピーチのあり方として重要なのは、「自分の意見」を述べるということ。新聞記事の紹介のみで終わってしまうのが最も好ましくない。ゆえに、スピーチの最初で「自分の意見」としての結論を述べることを推奨している。そこからなぜそのような結論に至ったかを話すことになる。

この約3分間の表現のために、新聞記事の内容を「受信」し、述べるべき結論に至るまで「熟考」し、スピーチを構成し他者に伝えるための「発信」をする。一人の学生の中で、この過程が生じることが大変重要である。このクラスは、大学の基盤教育であるから1年生配当の科目ゆえ、学生たちはまだ選挙権を有してはいない。しかし、こうした「思考」をすることで、「投票をしたい」という意欲を持つことは、大変意義あることだと担当していて痛感した。一人一人が生きる社会について真摯に考える為には、「発信」する場が必要なのである。

残念ながら、日本の教育現場ではこうした機会が未だ少ない。年々様々な実践が為され改善の兆候はあるが、小中高を通じて活発な意見交換が為されるには、まだまだ多様な教育方法の改革が必要だ。授業そのものを学習する者の発言や対話で構成するという理念を、更に実践的に押し進めねばならないだろう。教育現場はともかく僕たち社会人に、このような「発信」の場が確保されているであろうか。「発信」の場が無ければ、やはり政治・社会に対して無関心となる傾向も否めず、有権者としての「思考」も「撹拌」されることはない。

授業を終えて地元地域まで帰り、馴染みのカフェで夕食。ラストオーダーの時間まで寛ぎ、1日の疲れを癒した。同時に店主夫妻と、総選挙へ向けての各自の思いを多様な角度から「発信」した。3人が3人とも、現状の日本社会に対しての憂いは多々あった。しかし、それを孤独に考えているよりも、こうした“日常”に談話があることで、「思考」は「撹拌」されて鬱憤として蓄積した要素も、少々ながら解消したような気になった。やはり“表現”することで精神的な健全さが保たれるという典型的な例であろう。

大学の授業もさることながら、
一人一人が生活している日常に「発信」できる場を持つべきである。
せめてそこで「思考」を「撹拌」することで自らの意識を活性化し、
政治に参加するという意識を持つ。
ぜひとも賢い有権者でありたい。

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