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人間の理性は科学技術を統御できるか

2012-11-11
『ハイデガーの思想』(岩波新書 1993年)の著書がある木田元氏の文章「技術の正体」が、筑摩書房刊高等学校教科書『現代文』に掲載されている。その要旨はこうだ。

 「科学技術の進歩は、人類に偉大な恩恵をもたらすと同時に、甚大な危険性に直面させる「両刃の剣」である。一般的に、技術は人間の理性の所産であり、その理性で技術を統御できると考えられている。しかし、その考え方は安易で倨傲な思い違いであり、技術こそが人間を知的存在へと進化させて来たのである。したがって、技術は理性の手に負えない不気味な存在だと自覚し、畏敬と警戒をもって人類史的視野で見極めて行く必要がある。」


既に僕たちがSFの世界で垣間みたことの多くが現実化している。ウルトラセブンに登場する地球防衛軍の隊員たちが、時計の画面で相手の顔を見ながら会話できるという夢が、今や一般化している。既に実現が想定された年限を経過した「鉄腕アトム」のような、感情的ロボットは未だ存在しているとはいえないが、身の回りに“ロボット”と呼べるような存在がないこともない。とりわけ、こうした生活上の電子製品の開発を始めとして、宇宙開発や細胞・遺伝子研究は、格段の進歩を遂げているといえよう。今や10年、いや5年ぐらいの期間であっても、技術の進歩が僕たちの生活を変革させている現実がある。

技術の恩恵は享受する一方で、こうした生活技術の進歩によって、僕たちが振り回されている恐れを自覚する必要があるだろう。こうした疑問を高校生に投げ掛けると、「携帯によって(時間が奪われ)振り回されている」という自覚はあるようだ。必要以上の通信を友人間などで繰り返し、その伝達によって生じた誤解によって摩擦を生じるケースも少なくないと想像できる。むしろ僕自身の経験として、駅に存在した「伝言黒板」(仲間に居場所を伝える)や「自宅電話」によって彼女に電話をしなければならない緊迫感(家人に取り次ぎを依頼する会話が必要であった事実。特に父親の場合)という内容を話すと、高校生はその不便であったはずの過去に羨望の眼差しを向けるという発見があった。

実に偶発的で不確定な要素に依存し、仲間との連絡や好きな人への電話を掛けていた学生時代。だがそこに仲間との交友に根差した信頼関係の厚みや、本人のみならず家族の存在感を意識して通信をするなど、公共的観念を媒介とした人間的なコミュニケーションが存在していたのかもしれない。過去の偶発的で不確定な曖昧さに対して、個人個人を対象とした選別的で個別的要素に囲まれた現在の学生たちが、実は息苦しさをも感じていることを垣間みることができる。

「理性で技術を統御できる」ということが「安易で倨傲な考え方」であることを、僕たちは昨年から眼前に嫌なほど突きつけられて来た。「想定外」という“逃げ口上”の頻用は、そのことを社会的に証明している。木田元氏の文章の中では、「古代ギリシアの悲劇詩人が「不気味なものはさまざまにあるが、人間以上に不気味なものはない」と歌っている。」と述べられている。まさに、その「不気味なもの」が、刹那的な自然災害に加えて対比的に、甚大かつ長期的な被害を日本の国土にもたらしている。「科学技術」のあり方に対して、今こそ日本から新たな視点を世界に向けて発信すべきであろう。

高校生がこの文章を読んで、人間的な面を表出してくれたことは救いである。身近にある小さな過去の歴史や、古典的テキストに見えることばから、今この時代の生き方を逆照射してみることが、どれだけ貴重なことか。学びとは本来、こうした哲学等へ眼を向けて、自らの生活に結びつける契機を持つことである。


「安易で倨傲な考え方」に依存した危うい社会に、
一人一人が生きていることを
学生のみならず僕たちは深く自覚したいものである。

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