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「古典の日」に何をするか?

2012-11-04
昨日は文化の日。関西方面に来て諸々の文化に触れ、午後からは中古文学会秋季大会に参加した。『源氏物語』を始めとする中古文学に関する研究発表を聴き質疑に参加し、自らの研究の視座を再確認する。質問をして発表者の研究内容に踏み込むことで、むしろ自分の問題意識が相対化されて客観視できるようになる。そんなありがたい機会を得た。

懇親会冒頭で11月1日が、「古典の日」として制定された旨の挨拶があった。当日1日は、職場の講師室などでも話題にはなっていたが、果たして古典研究者・教育者として何をしたであろうか。この秋の「あはれ」なる季節感に乗じて、「古典」を更に社会に敷衍する具体的な方法を持ち得ているか。もちろん、小欄にてこの話題を喧伝し、一人でも多くの方にその趣旨を知って理解してもらうことも小さな一歩であると考えている。

そして何より自分に課せられた大きな命題は、中高生の「古典嫌い」の解消、いな消極的過ぎる、「古典愛好者」の増加である。国語教育の上で「古典」の扱いをどのようにしていくか。その“改革”を行う為にも、国語教育分野での方法論としての視座と、古典そのものを魅力的に解析する方法という二面性を伴う視座が不可欠である。古典をいかに魅力的に読むか、という点においてまずは中古文学研究の奥行きを自ら探索する好奇心が求められるであろう。

この日の研究発表で僕自身が質問したものは、『土佐日記』の末尾に「続浦嶋子伝記」等の神仙譚の影響を見る考察であった。5年ぶりに土佐から帰京した紀貫之一行は、自邸の荒廃ぶりに驚く下りがあるが、このモチーフに神仙郷からの帰還の投影を読む訳である。異郷で過ごした歳月がいつしか元に暮らしていた現実世界のあり方を荒廃させる。この昔噺にもよくある話型で『土佐日記』を捉えれば、新たな興味ある読み方ができそうである。冒頭部分を「仮名文字筆記の嚆矢」として位置付けることに終始しがちであるが、新たな視座による捉え直しによって古典学習者の興味を惹き付けることができるはずである。


こうした問題意識が新たに起動したよい機会を得た。
やはり古典の魅力を自らが楽しまなければなるまい。
「古典の日」に何をするか。
まず自らが襟を正すことから始めよう。
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