高橋哲哉氏著『犠牲のシステム 福島・沖縄』
2012-11-01
臨時国会が召集されたが、与野党の無益な睨み合いのみが浮き立ち、片や新党結成等、第三極形成の報道のみが右往左往しているかのように見える。この5年ほど、首相“毎年交代”あたりに始まる政治への不信感が雪だるま式に増加し続け、その結果の政権交代。しかし、沖縄基地問題と東日本大震災という二つの回避できない事態に直面し、新たな政治への期待は頓挫。(もちろん、この二つの事態があったことのみに原因があるわけではないが)与野党入り乱れて現状を誤摩化し、何も変わらぬまま国家の借金と税金だけが増大する世の中に、僕たちは生活している。2011.3.11は、僕たちの世界観を変える未曾有の出来事ではなかったのか。「第二の敗戦」とまで言われたこの自然災害を真摯に受け止め、僕たちは自らが生活する社会を今一度見直そうとしていたのではないのか。それは、電気を過剰に使う危うい基盤の上に乗る生活であり、それを成り立たせる社会構造を根本から問い直す大きな契機ではなかったのか。それが今や、国会はもとより社会の様々な場所で、ただ何も変わらない危うい社会構造を、ただ維持することだけに躍起になっている人々で溢れ返っているかのように見える。
高橋哲哉氏著『犠牲のシステム 福島・沖縄』(集英社新書・2012・1)を読んで、改めて僕たちが何を改めてどんな社会構造を希望すべきであるかということが、明晰に腑に落ちた。未だに大量の放射能を放出し続ける福島第一原発。予告なしに急遽発表される放射能汚染物質最終処分場の選定。市民がどれほど危険性を訴えても移設されない普天間飛行場。オスプレイという新型輸送機が危険かどうかという議論が必要なのではなく、飛行場の地理的環境が絶対的な危険性を孕みながら使用され続けていることが危険であるという事実。後を絶たない米兵による市民への暴行事件。政権交代後の現政権は、“偶然にも”この二つの容易ならぬ構造化された「犠牲のシステム」に正面から抗する役割を担わされて、その期待を裏切るように瓦解し続けて来た。今や僕たちが期待した政権の理念は、どこにも見当たらない。
ここで高橋氏の述べる「犠牲のシステム」の定義を紹介しておこう。
「犠牲のシステムでは、或る者(たち)の利益が、他のもの(たち)の生活(生命、健康、日常、財産、尊厳、希望等々)を犠牲にして生み出され、維持される。犠牲にする者の利益は、犠牲にされるものの犠牲なしには生み出されないし、維持されない。この犠牲は、通常、隠されているか、共同体(国家、国民、社会、企業等々)にとっての『尊い犠牲』として美化され、正当化されている」
福島出身の高橋氏が、自らの故郷への思いを込めながらも冷静な眼で「犠牲のシステムとしての原発」という構造を明確に炙り出す。また哲学研究者である同氏は、「原発事故の責任を考える」として「原子力ムラ」から政治家、そして首都圏で電気を使用している市民の責任に至るまでを思想的背景を示しながら語っている。そして「この震災は天罰か」の項では「震災をめぐる思想的な問題」を、単なる批判を超えた思想的問題として、その背景を明快に示してくれている。
その「原発」(特に甚大な犠牲を強いている福島第一原発事故)という「犠牲のシステム」が、これ以上ないかと思うかの如く、「沖縄」のあり方と一致する。もちろんその相違点をも明確にした上で、本書第二部では「「植民地」としての沖縄」「沖縄に照射される福島」として、前述した「犠牲のシステム」に沖縄がどのように組み込まれてしまっているかを浮き彫りにしている。
こうした「犠牲のシステム」の中で起こる、差別・偏見に対しても高橋氏の批評の眼は向けられる。そのシステムに乗じて「利益」を享受している一人として、こうした問題に眼を背けること自体が、大変卑怯な思い込みであるのだということが実感されてくる。
「国益という大きなもののためには、一部の少数者の犠牲はやむをえず出てしまうものであり、いかなる犠牲もなしに国家社会の運営は不可能である、という議論。犠牲のシステムをそのように正当化しようとする議論である。」
という「議論」の存在に対して高橋氏は、
「しかし、問題はまず、その犠牲をだれが負わねばならないのか、ということだ。」と述べる。
今こそ本気で僕たちが選択しなければならない争点は、
この「犠牲のシステム」という社会的構造にあるのではないか。
明日には、あなたが
「犠牲にされるもの」に組み込まれるかもしれないのだから。
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