並び方を迷ったことがありますか?
2012-10-06
男性ならば特に、トイレで並び方に迷った経験があるだろう。個々の立つ場所のそれぞれに並ぶのか、一列で空いた場所へ先頭の人から移動するのか。従来、たいてい日本の公共トイレはでは前者が多く、欧米では後者が多いように思っていた。個々の立つ場所に並ぶには、自己の選択が可能だ。どこが早く空きそうであるか。聊か判断力を働かせて、一人あるいは数人の後ろ姿を見て一つの結論を出す。良好な判断だったと思う時もあれば、判断ミスだと感じることもしばしばだ。そういう意味では、欧米型で来た順に優先権がある方式には、一理があるのかもしれない。女性側の事情は、はて知らずであるが個室内部を推測するのは、更に難しいだろう。映画館や競技場でトイレ外に及ぶ長蛇の列を見るにつけ、そのご苦労に頭が下がることもある。並び方の話題を語った理由は、昨日のスーパーでの出来事にある。よく買物をするスーパーは、2つのレジそれぞれに列を作るよう表示されている。しかも隣接した2カ所のレジから左右に列が及ぶような形式で、決して並びやすい環境とはいえない。この日も、その“ローカルルール”を知っていた僕は、空いている側のレジの列に並ぼうとした。店に入った時点から、普段以上に列が長いと思っていたが、別な事情もあろうかと“通常”のルール通りを貫いた。すると、横からある中年女性が、「並んでんのよ!並んで」と猛烈な剣幕で僕を叱責した。一瞬、脳裏には「此処はこういうルールです」という説得をする自分を思い描いたが、その過剰なことばに対応する気も失せて、仕方なく列の後尾についた。さながら、ルールに則った者が、ルールを無視したものに叱責されたという矛盾に満ちた場面であった。その女性は、「正義を行使した」かのごとく、鼻高々な表情で会計を済ませ、店を後にした。
僕は、会計を済ませるとレジの店員に、「此処はそれぞれのレジに並ぶのでいいのですね」と周囲の客にも聞こえるように問い掛けた。店員も先ほどの“叱責”が頭にあるらしく、「そうです。すいません」と謝っていた。公共の場の“ローカルルール”が徹底するのは難しい。もちろん、この場合も二者択一のレジで、選んだ側が遅いということもあり得る。公平感を出すならば一列の先着順が妥当なのかもしれない。だが、一列で長い列になる空間が、このスーパーにはない。
些細な“ローカルルール”の話だが、僕が気になったのは、この女性の言い方である。短絡的に、自らの方がその場のルールを知らないにも関わらず、いきなり他者を頭ごなしに叱責する。僕が、並ぶのを無視してレジに割り込もうとする人物に見えたのであろうか?些細なことだが、世間には「怒り」が蔓延しているように思えた。その「怒り」に対して、真っ向から対抗しない自らの「理性」は保てたのではないかと、ささやかな気持ちの豊かさも感じ取りつつ。
欧米ならば、「ここが最後尾ですか」といったことを確認する光景をよく目にする。僕も米国などに行くと極力励行している。その場の、“ローカルルール”を念のため確認する「意志」が多くの人々の中に、普通に備わっている。今回のスーパーの場合は、誘導を怠った店員を含め、大衆が確認し合うという態度を見せていない。些細な情報交換の習慣を、僕たちは実行すべきであろう。あくまでコミュニケーションの問題である。レジでの会計が数分遅くなっても大勢には何ら影響はないのだが。
情報を知らずに怒るという行為が先行する。
この国の社会では、
公共コミュニケーションにおいて
考えなければならない些細なことが
山積して来ているようにも思う。
念のために繰り返すが、
あくまで「些細なこと」なのであるが。
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