「我欲」とは何か?
2012-10-03
「私利私欲をはかる」「私腹を肥やす」などと表現すると、一般的に負のイメージが伴う。さながら水戸黄門に出てくる悪代官や商人が、農民から法外な年貢を巻き上げ、自分たちだけが豪奢な生活を送っているかのようなイメージが浮かぶであろう。だが、誰しもがこの「私欲」を持たないはずはなく、程度の差はあれど、「私欲」から発する行動をもって生活をしているのは否めない。それを半ば自覚しつつも、公共のためにどれほど「私欲」を振り払って行動できるかが良識の指標ということになるのかもしれない。朝日新聞夕刊(10月2日付)池澤夏樹氏が「復旧と復興の違い 資本主義が帰ってくる」において「我欲」という語彙を要点として、日本社会の現状を批評している。「私を離れて公共を考える人がいる」のであり、「人間の中にはたしかにそういう資質がある」のだと指摘する。だが同時に「私利という原理も確かにある。」として「資本主義に問題があるとすれば、人間のその側面を助長することだろう。」とする。「災害直後のあの気持ちを忘れないでいるのは難しい。」と現状分析を述べている。
東日本大震災後において、日本人がパニックや暴動も起こさず整然と穏やかに復旧へ対応しようとする姿は、世界中から羨望の眼差しで(あるいは特異な姿として)見られた。少なくとも僕たち日本人の多くが、そのように理解している。その秩序を重んじる姿勢は、この国の市民としての矜持だと感じた人々も少なくないであろう。ボランティアや募金活動、そして「絆」という語彙による喧伝、被災地支援への様々な活動の多くが「私欲」から離れての「助け合い」であった。だがしかし、いつしか時が過ぎ去りその気持ちはどこに行ったのかと思うこともある。池澤氏も指摘するように「災害ユートピア(危難の際に人がエゴを捨てるという現象のこと)」という状況があればこその感情であったのだろうか。
「我欲」というテーマは、実は様々な文学作品から学んでいる。小学校での芥川『蜘蛛の糸』もしかり、中学校での太宰『走れメロス』、そして高校生ともなれば漱石『こころ』等々、各年代で「我欲」を考える文学に触れて来ている。だが、そこで学んだことが、果たして多くの人々の生活や人生に何らかの影を投げ掛けているのであろうかと疑問に思うこともある。国語教材から学ぶことが子供たちの中で、あくまで「机上の空論」のようになっていて、小説の読解は「テストの為に」という感覚が大勢を占めるのではないのだろうかと。小説世界を、どこかで自分たちの生活感と結びつけて考える契機を指導者側が提供することが必要なのではないかと、自戒を込めて思うのである。
現状の国際間の諸問題を含めて、
「我欲」とは何か
それを心底、冷静かつ批評的に考えられる国民でありたいと願う。
その先でこそ、初めて矜持を持つことができるのではないかと。
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