小さな占有権のお話
2012-09-09
国際線に乗った際にいつも感じていることがある。日本人に比べて、諸外国人の持ち込み手荷物の多さである。(日本の)国内線は、手荷物の大きさもかなり厳格に規定されてそれが遵守されているが、国際線はほぼ各自の感覚任せではないかと思う時さえある。さすがに巨大なスーツケースは殆ど見かけないが、ソフトタイプのかなり大きなカート式ケースを持ち込む人が一般的だ。するとどんなことが起きるか?
頭上の荷物収納スペースが必然的に不足するのである。以前は僕も国内線並みに手荷物量を抑えていたが、一度、アメリカで預け荷物が行方不明となり、手元に届いたのが3日後という憂き目にあってから、“郷に入れば”で手荷物主義となった。その程度で荷物量も十分で不足もない。だが、これはこれで収納場所の確保に努めなければならなくなった。
だいたい、アメリカ人などは自らの座席位置にこだわることなく、空いているスペースにはどんどん荷物を詰め込む。その要領のよさと迅速さを見習いたいと思うことしばしば。実に柔軟な対応のように見える場面である。うかうかしていると、自分の手荷物を収納する場所を失うことになる。もちろん、全く不可能な場合は、乗務員がどこかに持って行って収納してくれるのであるが。
ある時、日本人の老夫婦が手荷物を足下に置いたまま、離陸時間が近づいていた。乗務員が棚に上げるように告げたので、旦那さんの方が自らの頭上の収納部を開いた。そこは僕のカート式ソフトケースが占有していた。やや僕の席からは離れていたので傍観していると、旦那が「荷物が入っている」と驚くように言う。すると妻が「入っているわけないじゃない。私たちの席よ」と座ったままに言い返した。旦那が信じ難いことが起きているといわんばかりの表情で、(日本人)乗務員に告げ口をするかのように言う。乗務員は「お席の位置に関係なく入れていらっしゃるので」と諭した。最終的には、その老夫婦の小さめの手荷物は、乗務員が離着陸時に預かるということになったようだった。
座席上の収納部分の占有権はあるのか?
たぶん、日本人的感覚だと「ある」ということになるだろう。
しかし、諸外国人の感覚では「占有権」という概念自体がないと感じられる。
あくまで、流れに任せて対応し、
自らの荷物の置き場所は自らで確保するのである。
小さな「占有権」の話であるが、
日本人の思考を表象している現象に思えた。
与えられて当然という、ある意味での傲慢。
自分の手で占有権を獲得する意志に比して。
果たして真の国際化とは何だろうか。
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