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予想もしないことばの交響ー連句会に参加して

2012-08-30
唐突にその場で出された句に、連なる句をつける。付かず離れず、関連をもちつつ展開のある、何ともいえない微妙で相反した関係性の句が連接していく。各参加者が思い描くことばの世界は多様である。他人が考えもしないようなことばの選択や配置。その場に、旋風を起こすがごとき革新的な発想。自らが作成した句と他者の句を見比べながら、ふと納得する一瞬がある。決して権威的な何かに迎合することもなく、座の“空気”はあくまで公平である。

連句を国語教育に活かしている中学校の先生が行うワークショップに参加した。高校時代から俳諧・連句は好きであったが、研究対象には和歌を選んだ。学生時代に高校の恩師に連れられて1度だけ本格的な連句会に参加したことはあったが、ほとんど付けることはできず、参加者の方が手伝ってくれて体裁を保つ一句を投じただけであった。その割には、大学時代も芭蕉の連句を扱う授業には、惹かれていたのも確かである。今回は実に格好の機会となった。

発句が提出され、それにこの日の宗匠たる主催者の先生が脇を付ける。季節柄、秋の句で始まり、次第に「月」を詠んだ句へと序の何句かが付けられていく。「月」が意外性のある月面着陸といった観点で詠まれた句が採択されると、一躍付け方が動きだし日常的な「雑」の句に展開する。そうした中で、様々な句を発想する脳裏は通常とは違う使い方をしているような気になる。おのれのことばの引き出しにどんな選択肢があるか。意表を衝いた内容を狙い過ぎれば場の方々に伝わらず、いかに連座しつつもかけ離れたことばを構成できるか。そんな楽しみで句を付けるごとに閑かな興奮が抑えきれなくなって来た。

均衡と反発。この相反する状況を場の空気の中でどのように叶えるか。場に従順でありながら、場を裏切る。決して一定の“空気”に支配される、没個性の妥協的な感覚では叶えられない文芸的境地。時間を忘れ、自身を忘れ、雑念が排除されるような豊かな時間を体験した。この創作的なことばの交響と人間関係の麗しさに、日本文化の精髄があるのだろう。優しくて厳しい。温かくて冷たい。受け入れつつ追い込む。そんな相反する感覚を、随所に味わう機会であった。

もはや、連句は癖になりそうである。
そしてまた、創作を言語活動の一環として国語教育での展開も興味深い。
ことばの響き合いの魅力を存分に引き出す日本文化こそ美しい。

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