僕にとっての加藤茶
2012-08-22
どんな子供だったかと問われて、自らの過去を振り返る。かなり幼少の頃からの記憶が鮮明に残っている。だが記憶の確かさに比して、その行動は決して冴えたものではなかった。幼稚園では集団行動ができずすぐに泣く。小学校に入ってもおっとりしていて、2年生で九九を覚えるのもクラスで最後であった。だが、小学校3年生になってクラス替えがあり、やや威勢のいい連中が多いクラスの中で、いつしか一つのキャラクターを“演じる”ようになっていた。それが当時は黄金期であった「8時だよ全員集合」で活躍していた加藤茶のキャラクターである。実は、先日の九州旅行の際に、羽田で飛行機に乗った瞬間、加藤さんが座っているのに気付いた。よっぽど声をかけて握手をするか、一緒に写真でも撮ってもらおうかと思うほど心が躍った。しかし、僕の後ろからも一般客がどんどん乗り込んでくる状況で、その行為は加藤さんに迷惑がかかると判断して、そのまま通り過ぎた。旅をともにしていた方々に後で話すと、全員が全員「奥さんは一緒だった?」と聞かれた。その時は、仕事での移動なのか、僕が見たときは一人であった。僕自身は、20代の奥さんはともかく、加藤さん自身に、ある種の尊敬の念を持っている。それはたぶん、小学校3年生の時の体験に根差しているのである。
小学校で他人に抑圧的に接し、理不尽な行動を強要するクラスメイトがいた。そうした際に、僕は力で応戦せず加藤茶ばりのギャグで返答した。すると相手もその反応に対して、笑いを浮かべる。やがて各学期末のクラスの「お楽しみ会」などで演じる寸劇などでも、僕はまさに加藤茶キャラを演じて、またそれが自分でも実に納得のいく配役であると思っていた。そうした1年間を過ごしたクラスも4年生で再びクラス替え。その4年生からの僕は人が変わったように、学級委員になるような級友に対抗するがごとく立候補したり、また、走るスピードも次第に速くなって行った。
こうして1年ほどであつたが、“公的”に加藤茶キャラを個性にすることが、自らの学級という小社会の中での“生き方”を方向付けた。以後は、比較的私的な世界の中で、加藤さんを“尊敬”している。次第に志村がドリフターズの中でも人気を極める時期になったが、僕にとってドリフのギャグ主役は、加藤茶にほかならない。もちろん今でも、ドリフの過去の映像を見ると、加藤さんのギャグに腹を抱えて笑ってしまう自分がいる。
こうした経緯で、
加藤さんに現実に一瞬であっても出会えた経験は、
何やら運命的なものを感じるのである。
聊か小学校3年生のときの自分を思い返してみよう。
きっと運命が開けて来るに違いない。
僕にとっての加藤茶は、幸運を呼ぶ存在なのである。
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