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石牟礼道子『苦海浄土』の世界

2012-08-15
かなりの年数を経て石牟礼道子『苦海浄土』を再読した。もちろん今回、実際に初めて水俣に足を運んだからである。作品の中に描かれている地名のイメージを想像でき、漁村に船が繋がれている光景や小さな路地にある家々の様子などを、時代は違えど現実として体感したことは、作品を読むことを劇的に身近なものにした。逆にいえば、水俣の街中や漁村を実際に巡り歩く時に、単なる光景ではなくそこに住んで来た人々の声が聞こえてくるような幻想に陥る感覚があった。その声が僕の心の中に訴えてくるのは、やはり『苦海浄土』という文学に触れていたからに他ならない。

僕は幼少の頃から、芥川龍之介や室生犀星の居住していた東京の田端という土地に生まれ育った。小学校で郷土の地理を学ぶ3年生ぐらいの段階でそのことを知った。爾来、街中にある文士たちの旧居跡などに行くことが“遊び”の一つであった。年齢と共にその範囲が拡大し、次第に東大近辺まで散策するようになった。そこで漱石・鴎外の旧居跡を知り、街を巡り歩くことでその文学に描かれた地理的世界観を体感するに至った。その後、漱石・鴎外の作品を読めば、その場面がたぶん他の読者よりもリアルな想像を持って享受できて来たと思う。文学とは風土が作り上げていくものでもある。

そんな意味において、今回の水俣訪問により『苦海浄土』に描かれた人々の声が、より身近になった。それでもまだまだ浸透度は浅いと言わざるを得ない。ほんのその入り口にしか触れていないという感覚がある。同書の講談社文庫(新装版)解説に渡辺京二氏は、「『苦海浄土』は聞き書なぞではないし、ルポルタージュですらない。」と記している。それは「石牟礼道子の私小説である。」という。「彼女は「あねさん」として彼ら(患者さん)に接しているのである。」(カッコ内中村注)と述べる。水俣に生きる人々の中に自らが存在し、またその土地をこよなく愛することによって、「書くべきものがおのずと彼女の中にふくらんで来た」というわけである。渡辺氏が石牟礼氏に質問した際にも次のような答えを得て驚愕したとも記している。

「だって、あの人が心の中で言っていることを文字にすると、ああなるんだもの。」

これぞ「『苦海浄土』の方法的秘密のすべて」であると渡辺氏は評する。「彼女は記録作家ではなく、一個の幻想的詩人だからである。」という点にも肯けるのである。


水俣という比較的コンパクトな街であるからこそ、そこで苦しみながら生き抜いた人々の声が聞こえてくる。「幻想的詩人」という評価を誤解してはならない。ともに存在する、土地を愛する、人々とともに生きる、そこから得られた鋭敏な感性によって、『苦海浄土』のことばと声は紡ぎ出されたといえよう。それだけに本当にこの作品を評価するには、水俣という土地を深く知らなければならない。人々とともに存在しなければならない。今回は、ただそうしなければならないということがわかっただけで、僕は未だ何もわかってないという方が正しいのかもしれない。

水俣病ということばを知らない人はまずいないだろう。
だが、そこで人々がどう生きて来ているのかを知る人は稀少だ。
現地に赴かないまでも、せめて『苦海浄土』を紐解いて欲しいと願う。

水俣という街で起きた問題は、
今も日本人すべてが背負う問題を内包していると断言しておこう。
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