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川床の涼しき風に癒されて

2012-08-04
関西に来たらどうしても立ち寄りたいのが京都。いくつかの調べ物のため、街を徘徊するだけで胸が躍る。この街に来ると極力徒歩で移動しようという気持ちにさせられる。平安京以来、人々が築いてきた歴史の一コマ一コマを、距離や所要時間を味わって感得したいと思うがゆえである。この日は、並々ならぬ暑さであったが、やはり汗を流しながらこの平坦な盆地を徘徊した。方角はもちろん、大きな街路間の距離は心得ているので歩くのにも苦ではない。

夕方になって鴨川沿いに出た。既に多くの人々が、その川岸に座り込み涼をとっている。思わず橋のたもとから川岸沿いに降りた。その清らかな流れには、鳥たちが戯れ東山の遠望も趣がある。しばらく京大のある上流方向から下流に向けて歩くと、川床が姿を現した。いまだ明るい夏の夕暮れ時であるが、既に冷たいビールに興じている人々の姿が見え、そこに和服の女性たちが料理を運んでいる。昼間の暑さをいつしか忘れ、まさに「涼」を愉しむ気分になる光景である。

三条大橋まで到達すると、西詰にスターバックスがある。毎度、京都に来るとここには立ち寄る。その米国由来の珈琲店にも川床が用意され、ほぼ席は埋まっていた。愛想のいい店員さんが、「少しお待ちいただければ、空いたらご案内します」と笑顔。川床に出るドアの前で、しばしの”立ち飲み”を決め込んだ。ビールではなくコーヒーを飲んでいるために、意外と席の回転は早く一番川沿いの格好の席に案内された。スターバックスの緑の商標の付いたカップが、後方の三条大橋に映える。緩やかな涼風が頬を撫でて、日中の暑さはすっかり吹き飛んでしまった。

その空気感がたまらなくいい。冷房の中にいるよりも格段に気持ちがいい。夏の趣は「涼み」であるが、この土地でそれに接した時の気分は格別である。時間を忘れるほど癒されて夕暮れまで席にはりついた。ふと、本来日本文化では、自然の風で涼をとるという行為が一般的だったのだと実感した。自然と対峙せず同化していこうとする感性。そこに喩えようのない豊かな心が宿る。いつしか僕たちは、電気の強引な力で空気を冷やす極めて人工的環境に身を置くことに馴れすぎてしまった。もはや、高校生や大学生に「夏の趣」と問うても、「涼み」と答えるものは稀である。

夕暮れという時間帯もまたいい。
昼から夜への越境を実感する時間意識。
この美しかった国土には、豊かな感性が根付いていたのだ。


幕末までは高札場として、罪人の告知や晒しなどもされたこの橋のたもと。
いまや、平和ではあるが何かを忘れた日本人たちが、
豊かさを思い出す為に訪れているようにも見えた。

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