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関西の文化を感じて

2012-08-03
新大阪駅に着いてカート付き荷物を転がしながら乗換電車へと向かう際に、人の流れでエスカレーターの右側に乗ってしまった。一瞬、荷物を持ち上げて段を昇らなければならない羽目になったと困惑したが、すぐに右側が静止、左側が昇る側であると気付いた。このとき「大阪に来た!」と深く実感した。そして改めて、「なぜ大阪は右側で、関東とは違うのだろう?」と疑問が湧いてくる。関西圏でも京都などは、関東と同様に左が静止側である。ではどこを境界として左右が反転するのだろう?などと民俗学的周圏論なども思い出しながら、この異文化の中を歩き続けた。微妙でありながら、この東西文化の違い、そして関西圏内での文化の違いをどのように考えたらよいかと、毎度のように色々と考えさせられる。

昨日、小欄に書いた漢詩の訓読の際、当然ながら関西の先生方が読むと、イントネーションの違いを感じる。「春暁」という漢詩の「花落知多少(花落つること知る多少」」の訓読では、「花」が露わに関西イントネーションで読まれるので、僕ら関東人が読んだものとはまた趣の違いが感じられる。決して好悪の問題ではなく、声に出して読むことで初めて感じる違いでもある。関西の〈教室〉で、この句はこのイントネーションで読まれているのかと改めて実感した。古文などもまた然りであろう。以前に『枕草子』の「春はあけぼの」を関西出身の学生が朗読する機会に出会ったが、その余白を生かす文体は、(感覚的にではあるが)明らかに関西イントネーションで読んだ方が適していると感じられた。平安朝文学が醸成された現場は京都が中心であろうから、その音声表現においても関西圏を意識する必要がありそうだ。

大阪で兵庫在住の大学時代の親友に、久しぶりに会った。同じサークル内の他の人々の近況や学生時代のことを懐かしく語り合った。彼は自分で言うのだが、大阪的気質よりも東京的気質の方が性に合うと。それゆえの東京での大学生活を選択したのも納得である。大学4年間の中で、一番信頼し気の置けない仲であった彼は、まさに東京下町育ちの僕と感性が一致していた。そして、これもまた一般論としてよく語られるが、関西圏出身の人々の中でも「大阪は違う」ということを口にするということだ。とりわけその傾向は、京都の人は濃厚である気がする。

親友との再会を楽しんだのち、夜になって”ドドメ色”阪急電車に乗って京都へ。この電車の色も、関東ではほぼ絶滅している。関西に来たことを実感させる異文化に違いない。

至極当然の文化の違いであるのだが、こうした事象を置き去りにしている傾向がないだろうか。日本全国横並びの文化的”平等”ともいえるような意識が徐々に幅を利かせてはいないか。「特別」を否定し「普通」「標準」をよしとする社会的風潮。そんな中で顕然と「特別」を表現している大阪の文化は貴重といえるのではないだろうか。その文化を強硬な”管理”で横並びにしていくような支配に対して、僕たちは注意を払わなければならないだろう。

金子みすゞの詩にあるように、
「みんなちがってみんないい」
のである。

文化の違いを日本国内でも、もっと堪能しようではないか。

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