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道を拓く

2024-04-19
「どこかに通じている大道を僕は歩いてゐるのじゃない/僕の前には道はない/僕の後ろに道はできる」著名な高村光太郎の『道程』、その元となる長詩の冒頭である。中学生の頃、教科書に載る一節(この長詩の最後から抄出)を読んで、人生はこう歩むのだと心に刻んだ覚えがある。他人の力を借りるのではなく、自らの力で道を拓くのが人生なのだと思った。この年齢になってあらためて思うに、大学学部卒業後に中高教員となり10年後に二足の草鞋で大学院進学し学位取得まで、さらには大学教員となるに至るまでの「道程」は、光太郎の詩の通りではないかと振り返ることができる。

人生という道を歩むというのは、自らが道を拓くことである。何もない大草原の草木に分け入り、降り積もった新雪に自らが最初に足跡をつける。誰かが切り拓いた道を歩むのは、安全で容易かもしれない。しかし、あの人のような道を歩みたいという尊敬する目標はありながらも、実際に道を拓くのは自分だ。辛く苦しい地平の先に、必ずや希望の光が見えて来る。自ら道を拓こうとすれば、きっと助けてくれる人にも出逢える。いつどんな年齢になっても、こうした志を忘れずに生きるのが尊い。悩んでなんていられない、ただただ今日の道を拓くのだ。光太郎の詩をあらたに噛み締めつつ、母が身を以て伝えてくれることに大きな励ましをもらうのである。


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踊るポンポコリン

2024-04-18
授業に向かう時はいつでも、心が踊っている。向き合う学生が新たな発見をして、90分で何かが変わって行くのが楽しみだからだ。学生の反応・発言・書記・対話から、踊るような希望をもらっているのだと思う。このように考えるだけで、腰のあたりがムズムズして来る。この衝動こそ、僕自身が教師たる存在理由だと思うこともある。人生は、心が踊ることに向き合っていたい。研究も教育もともに心が踊るような向き合い方をしていたい。

ちびまる子ちゃんのテーマ曲「踊るポンポコリン」の歌い出しは、有名な「なんでもかんでもみんな〜踊りをおどっているよ〜」である。鳥も草木も空も海も、万物はみな生きており踊りをおどっている。神楽を考えれば明らかなように、神への祈りを捧げるのも「踊り」によってなされる。生きることの根本に、「踊り」があるのかもしれない。これからもまた「心が踊る」ことを大切に生きてゆきたい。附属学校との共同研究の希望を語るとき、心が踊った自らを見つめて。


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テーマ詠「桜」ー宮大短歌会新歓歌会(1)

2024-04-17
宮大短歌会新年度初は新歓歌会、今月は毎週のように合計4回の歌会が設定されている。14日(日)に新歓祭というサークル紹介歓迎行事が行われ、いよいよ新入生に活動を味わってもらう時期となる。早速に1名の新人が歌会の席に並び、嬉しいスタートとなった。この日はテーマ詠「桜」、やはり「入学」と切っても切れない文化としてのテーマである。コロナ禍初年2020年には、4月から学校が開始できないことから「9月入学への移行」が取り沙汰されたが、まったく一時期の暴論であっさり議論もなくその声は消えた。世界的基準の9月入学にできないのは、「桜」のせいだと断言できるのかもしれない。

出詠9首参加7名、歌の素材は「並木」「進路」「サクラクレパス」「花びら」「さくらばな」「セイヨウミザクラ」「シャーペン」「眩さ」「デジャビュ」等であった。温暖化のせいか咲く時期が3月中旬ぐらいまでズレ込んでいるが、今年の桜は4月まで咲いたものの宮崎では見頃のないような感じで散ってしまった。「桜」が和歌短歌の詠い継がれて来たような時期に適う咲き方をしないのは、温暖化の文化面への侵攻とさえ思う。過去の名歌を見れば、日本人が咲くことを待ち儚く散ることにどんなにか時間意識を刺激されてきたのが明白だ。1000年以上の「花(さくら)」の和歌短歌史を引き継ぎつつ、宮大短歌会の新たな年度が始まる。


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即応

2024-04-16
新1年生を迎えた最初の講義、入念な準備を施していたがやや教室へ向かうのが間際になった。というのも講義の前の90分間にあるオンライン会議に出席せねばならず、会議終了がやや延びてやむを得ない事態であった。こういう時に限って教室のプロジェクターが上手く投影されず、しばらくあらゆる可能性を模索することになる。どうも手に負えないので事務の方を呼びに行くが、それでも投影には至らなかった。どうやら前に使用した人が、適切な電源の切り方をしなかったのが原因だということだけはわかった。講義開始から15分近くは経過しただろう、まったく新入生へ向き合う時間を、返して欲しいほどだった。

プロジェクター投影なしで「声の授業」で行おうと腹を括り、すぐさま大切な新入生へ向けて気持ちを切り替えた。「文学史(古典)」の講義の初回講義ガイダンスなので、声で「上代・中古・中世・近世」と読み上げて、「漢字で書けるか?」という問い掛けから始めた。通常であればスクリーンに投影された漢字をすぐに見てしまうところ、新入生は自分の頭で一旦は「音」を引き取り、漢字を考えた。用語としての漢字などはあくまで知識であるが、安易に提供するより「考えて」から自らの物にすることが肝要ではないかと思った。その後も「なぜ日本文学の古典を学ぶのか?」や「今、どんな作品を知っているか?」など「考える」時間が続いた。機材トラブルによる即応の講義であったが怪我の功名、「考えるための知識の提供」という方法が編み出せたようだ。


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即座

2024-04-15
新年度NHK短歌・第2週目の選者は俵万智さん。日曜日早朝6時という放映を観るために、平日並みに起床した。最近は「NHK+」と名付けられたWeb上で、1週間以内ならいつでも観られる。ゆえに、よく大学研究室で昼休みなどを利用して観ることが多かった。だがやはり「番組」というのは放映のリアルタイムで観る方が断然趣がある。もちろん生放送であるわけもなく、収録録画なのであるが日曜日早朝の空気感とこの番組は大変に適合している気がするのである。大河ドラマなどもやはり日曜日の夜でなくてはダメで、歴史的への様々な思いが翌週の活力になるものだ。

数時間の差であるが、日曜日に早起きすると休日が長くて得をした感覚になる。朝の報道番組を観てからしばらくは歌書を読み、昼時を迎える前に評判が高いというラーメン屋に初挑戦。少々並びはしたが、納得の味を堪能した。すると、まだまだ午後の時間が豊富に残っている。いささかプロ野球中継に興じ、その後は再び歌書を読むことに集中した。要点は「即座」に「今すぐ行動」をすること。一日の中でも「後でいいや」と思ったことは、たいていが「できない」で終わる。これを人生に引き伸ばすと、怖い気さえする。やりたいこと・やるべきことは「即座」に実行するに限る。


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杞憂

2024-04-14
むかしむかし、中国の「杞」という国に「空が崩れてきて身の置き所がなくなる」と心配して、寝ることも食事を摂ることもできない人がいた。この人を心配した人が「空が落ちてくることなどない」とあれこれ説明してようやく納得させた、という故事が『列子』という書物にある。もちろん地球が宇宙に存在する天体だともわからなかった時代、「空が崩れ落ちてくる」のを心配した人は少なからずいたのだろう。「杞憂」は故事成語となり、「無用の心配、取り越し苦労」の意味で現代日本語で通行する。

真相がわからないのに心配だけが先立つのは、現代でも変わらない。優しい人ほど、自らの解釈の上で「杞憂」を重ねに重ねてしまうことがあるだろう。だが真相と受け止めた解釈には隔たりがあることを知れば、むしろ無頓着で鈍感でいた方が生きやすいのかもしれない。野球の打者は、10回中7回を失敗しても「3割打者」として讃えられる。サッカーでは1得点さえできなくても「0−0」で引き分け勝ち点がもらえるかもしれない。もっとも現代では、空の皮膜が劣化し地球で人間が生きられないほど高温になるかもしれない誠の心配がある。傲慢すぎる人間を戒めつつ、必要以上の心配をせぬことが自分を大切にするということだろう。


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挨拶

2024-04-13
「挨拶はなぜするか?」という高校生の問いに、イチローさんが真摯に答える動画がWeb上にある。特別な答えではないが「相手に敬意を持つ」ことこそが「野球人として、人として大切だと思う」と真顔で答えている。中学校や高等学校で野球部に入れば、自ずと挨拶は教わるしある意味で「強要」されるだろう。だが高校教員をしていた僕自身の経験からすると、「挨拶」はやがて形式化し「敬意」が含まれないものになりがちである。競技の違いとしての部活環境に左右されるのか?むしろサッカー部の生徒の方が「親しみ」を持った「挨拶」をしてくれたように感じていた。

宮崎に住むようになって、散歩などで子どもたちを含み見知らぬ人でも挨拶をしてくれるのが嬉しい。何も「敬意」という大げさなことではなく、「人と人」が向きあったのだから「人として挨拶を交わす」という基本が生きているということだろう。「視野に入る」ということは、言い換えればその人の「心に入り込む」ことである。さすれば、やはりイチローさんの言う「敬意」が必然なのではないかと思えてくる。「野球」とか「教育」とかいう枠組みを超えて、挨拶が基本なのは全世界共通しているように思う。見知らぬ欧米人が道でニコッとするのは、「敵愾心がない」ことを伝えるためだと言われる。まずは向き合う「あなた」に「敬意」を示すことが、「戦争」を無くす第一歩だろう。


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仲間

2024-04-12
「仲」の文字には「にんべん」があり、「人と人との間がら」という意味がある。「仲介」と使用されるように、「なかだち」の意味での使用する場合もこの文字だ。もとより「伯・仲・叔・季」と「二番目の兄」という意味で、「仲兄」の語もある。長男は堅物で融通がきかないが、次男は要領よく社交的だという家父長制由来の俗信的類型も、この文字に起因するのかもしれない。それにしても、「仲間」という語の響きが好きだ。「ひととひととのあわい」人はみな独りでは生きていけないものだから。

「仲間」と呼べる人には、「ともに何かを成し遂げた」という共感する経験がある。その経験が苦しく困難な道であればあるほど、「仲間」で居続けられ再会の喜びは大きい。時が経過しお互いに立場は変わっても、苦しい時に寄り添った心が再起動する感覚がある。いま「寄り添った」という言い方をしたが、言葉でいうほど簡単なことではない。真に苦しい状況だと「わかる」だけではなく、身を以て等しく「汗をかく」ことが大切だと思う。教育現場の場合、「成し遂げた」先に子どもたちの成長がある。「ひとり」のためにともに行動してくれた「仲間」を、僕はどんな立場になっても忘れない。


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自分を何より大切にする

2024-04-11
くよくよして時間を浪費し、バカにしてくるやつを気にかけ、尊敬できない人に好かれるように気を遣う、気が合わない人のそばにいて、リスペクトがない人と仕事をしている、苦手な人をなんとか克服しようとして、余計な神経を他人にばかり使っている、自分を何より疎かにして、自分の最大の味方になる他者をあてどなく探し、猫背で日々を歩む、、、

作家の辻仁成さんが、Xに前述の真逆の内容を投稿していた。
「くよくよする時間はない/バカにしてくるやつは無視/尊敬できない人に好かれる必要なし/気が合う人のそばにいる/リスペクトのない人と仕事はしない/苦手な人は苦手のままでよい/余計な神経を他人に使わない/自分を何より大切にする/自分の最大の味方は自分/胸をはって行け!」

あなたは、どちらの生き方をしていますか?
辻氏がパリ在住なのは有名だが、さすがは個人主義の国。
否、「国」や周囲の環境など問わず「自分を何より大切にする」ことこそ生きることかもしれない。

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未来を探す

2024-04-10
「探」という漢字には希望がある。訓読み「さぐる」で「探険」、「たずねる」で「探訪」の漢語と解せる。漢字成分を解剖すると「穴」+「火」+「手」であり、「穴の奥の火を手でさぐり出す様をあらわす。」(『漢字源』学研)とある。温かく希望を照らす「未来の火」、どこにどのようにあるかわからないが、「手さぐり」で探険し探訪を重ねてやっと行き着くことができるのが希望である。「希望」の「希」は「稀(まれ)」なのであり、そう簡単には行き着くことができるものではない。

あらたにゼミに迎えた3年生たちと、年度始めにあたり話す機会を得た。大学4年間の折り返しにあたり、まさに自らの未来を探している。今後の2年間でどのような「探険」をし、どんな素敵な景色を「探訪」することになるのだろう。敢えて「険しきを探る」ことで、世の中の様々な出来事を「探し訪ねる」ように過ごして欲しい。その先でこそ真に「探究」できる社会人・教師としての道に通じることになるはずだ。「究」とは「穴」+「九」で穴の中の最深部(一桁の最大数)のこと、納得するところまでぜひ若さゆえ「探究の旅」を続けて欲しい。


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