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転出超過の緩和ー宮崎県

2024-01-31
東京都は6万8285人の転入超過で一昨年の2倍
喉元過ぎればコロナ禍前の一極集中に逆戻り
されど宮崎県は1111人の転出超過で減少の緩和傾向が続く

知らぬ間に「感染拡大」が忘れ去られ、多くの人々が「普通の日常」を享受している日々に見える。昨年来、大規模会場ライブや忘年会新年会などの宴の復活、もちろん僕自身も東京への往来が増えた。今回、京都に行っても実感したが明らかな人の多さが都市部は顕著だ。総務省の調査の報道によれば、東京は冒頭に記したような「転入超過」でコロナ禍以前の水準に戻りつつあると云う。東日本大震災後もそうであったが、災禍があると一時的に都市部から人口が減少傾向になる。だがまさに喉元過ぎればで、現在の東京の高層オフィスビルやタワマンの乱立は目を覆うばかりだ。果たして真に首都直下大地震に、あの都市は耐え得るのだろうか?とつくづく思うのである。

一方で地方の「転出超過」傾向に拍車がかかる。九州でも長崎県6439人・大分県3108人・鹿児島県2752人と、一昨年からその幅が拡大していると云う。だが宮崎県は「転出超過」ではあるが、冒頭に記したように緩和傾向であり、近年で最も多かった2016年の3991人からすると、四分の一程度に減少しており隣県と異なる傾向を示している。報道では都城市が移住推進支援をしており、昨年の9ヶ月で1500人以上が移住したなどの要因を挙げている。また男性の転出超過が388人に対して女性は2倍近い723人が超過で大きな課題だと云う。今後もウイルスとの格闘は恒久的だろうが、世間がコロナを忘れ去っていく中でこの傾向は持続するのだろうか。まもなく宮崎ならではの温暖さを活かしたプロ野球キャンプも始まる時節、大切な県の未来への議論がここにある。

穏やかな時間、あたたかい人々
転出する意志に都市部でなければならない理由はあるのだろうか?
天気予報でも宮崎だけが晴れている日は少なくない。


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文学部のちから

2024-01-30
紫式部邸宅趾といわれる廬山寺
学生さんによるガイドに聞き入る
尋ねれば文学部で学んでいると知る嬉しさ

京都最終日は、やはり今年の大河ドラマを意識した場所へ向かう。地下鉄烏丸線「今出川」で降りて同志社大学や冷泉家を眺めながら御所内へ。月曜日で内部見学は休みであるが、玉砂利を踏みしめながら各門を散策し、平安朝には牛車が通行したであろう雰囲気を妻に見せたかった。御苑を東側に出ると、紫式部邸宅趾があったとされる「廬山寺(ろざんじ)」へ。「京の冬の旅」で37年ぶりの公開という「元三大師堂」では明智光秀の念持仏「地蔵菩薩像」を拝することもできた。お顔がやや擦り減っているのは、光秀が懐に携え時に撫でて念じていたゆえと「学生ガイド」の説明を聞く。さらに本堂では住吉派の絵師による『源氏物語』「若紫」「絵合」の図を見ることできた。さらに特別展示の与謝野晶子「源氏物語礼賛」、晶子が『源氏』の各帖を材に歌を詠んだものが巻子に書かれている。ちょうどTV取材も訪れており、やはり大河ドラマが歴史探訪の扉を開けていることがわかった。

この「廬山寺」で出逢った3人ほどの学生ガイドさん、説明の後などにご迷惑にならない程度に質問を投げ掛けた。どうやらどこぞの文学部の学生さんで、「京都歴史ガイド」のサークルに所属しているらしい。各所で諳んじた解説をしてくれて、「堂内には段差がありますのでご注意ください」などの配慮にも言欠かない。さらに他の学生さんに尋ねると、「日本文学」そのものというより広く「文学部」で学んでいるという趣旨のことを聞いた。正直なところを言えば『源氏物語』「若紫」の図などの解説には、専門的には不十分な面を感じざるを得なかった。だが、多くの一般観光客の方々には、どの程度の解説が適切なのかも考えさせられた。さらに他の学生さんに尋ねると「お詳しい観光客の方も多い」と聞いた。こうしてガイドをしながら学生さん自身がさらに造詣を深めることができ、「文学部」での学びを実学として活かしている姿には、「文化」を大切にすべき京都の持つちからを垣間見ることができた。

その後、京都大学周辺を散策し平安神宮へ
再び三条大橋へ戻り京都の馴染みの餃子の昼食
「京の冬の旅」やはり平安朝を考えねばこの国の文化はわからない。


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京(みやこ)のちからをいただく

2024-01-29
久しぶりの京都
コロナ感染拡大の数年間を超えて
馴染みのお店の元気さ、そして平安朝文学研究へのちから

本日は土曜日の公開講座担当の代休という計画から、妻が京都の国際会館で学会発表をするというので久しぶりに京都へ帯同することにした。この丸3年間はなかなか関西にも出向けず、4・5年以上ぶりの来訪となる。いつもながら坂本龍馬先生が遭難された地に手を合わせ、定宿としている場所へと土曜の夜に向かった。まずは宮崎に赴任時に父母をともに連れて行った祇園にある貝汁のお店へ。マスターも奥様も元気で営業しており、5年分ぐらいの話が弾んだ。誰しも特に飲食店は辛い3年間を過ごしたであろうが、こうしてまたお店に伺えるのがなんとも嬉しい。他分野ながら同世代の人が頑張って生きている姿から、こちらも大きなちからをいただくのである。

妻が学会最終日に参加する日曜日、僕は比較的朝をゆっくり過ごす。独りでまずは「京の冬の旅特別公開」をしている「渉成園」へと平安京を歩む。基本的に京都に来たら可能な限り徒歩で移動する。それは平安朝貴族や幕末の志士が、どのぐらいの感覚で移動したかを知るために有効な方法だ。「渉成園」とは東本願寺が所領する別庭のような場所だが、平安時代には『源氏物語』のモデルの一人とされる嵯峨天皇の親王・源融(みなもとのとおる)の邸宅があった辺りで、光源氏が造営した「六条院」を物語に描く構想の元になった場所だ。その後は、京都駅南側にあるやはり嵯峨天皇が弘法大師に託した東寺へ。「開運厄除」祈願を受けて、ありがたくお札をいただく。さらに学会を終えた妻と合流し宇治へ。閉館前ギリギリで「源氏物語ミュージアム」と「平等院」を拝観できた。そして夜は宮崎の自宅の近所がご実家である店主の串揚げのお店へ。関西在住の妻の甥っ子・姪っ子も呼んで、美味しい串揚げ料理に舌鼓を打った。

やはり京からは大きなちからをいただく
なぜ平安朝文学を研究しているのかを再認識し
あらためて京の素晴らしさを知る機会になった。



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公開講座『死か藝術か』呼吸あるものは死ねよとぞ啼く

2024-01-28
喜志子と結婚した牧水
経済的な困窮と崎の海と
「旅人のからだもいつか海となり五月の雨が降るよ港に」

公開講座「牧水をよむ」は、今年度後期2回目は第五歌集『死か藝術か』の後半。牧水自身の身の上でいうと、信州で求婚した喜志子と東京での結婚生活を始める。ただ決して経済状態に恵まれたわけではなく、居を定めつつ短歌づくりのために神奈川県三浦半島への小旅行には妻を伴わず独りで出掛けている。ただ妻・喜志子への熱い愛情を示した手紙を送り、そこでは「収穫」として五十首もの短歌ができたと綴っている。それを収めたのが『死か藝術か』の最後の一連「かなしき岬」である。20代の若き日の苦悩の恋愛から脱し、自らを歌人として支えてくれ短歌に理解のある喜志子との新たなる生活に踏み出した牧水の作ということになる。かつての自虐からは脱したものの、そこには「かなし」「わびし」「かげり」を伴う。自らを「旅人」と客観視する歌もあるような詠みぶりに変化の兆しが見える。

冒頭に掲げたのはゲスト講師の伊藤一彦先生と共選した一首、上の句で「旅人のからだ(ここもひらがな書きがいいと伊藤先生)もやがて海となり」と海に溶け込む「旅人(自身か第三者か解釈は分かれる)」の姿を詠う。下の句「五月の雨が降るよ港に」では特に結句で「3音(降るよ)」
+「4音(港に)」の構成が口語性を伴うこの時代の新しさを感じさせる。他にも「さびしき海をさすよ岬へ」「赤き切手を買うよ旅びと」などと同様の口語的結句構成が見られた。また場面が海ということもあるが「青」という色彩を伴う歌が多く、「青パラソル」「灯台の青いろの灯」「青く明けゆく停車場に」「青き絵の具」などがその例である。また20代も最後の数年にさしかかり、年代を意識した歌も見える。これは今年の牧水賞受賞者である永田紅さんも、宮日新聞への寄稿で指摘していたことだ。「わが廿八歳のさびしき五月終わるころ」「としの三十路に入るがうれしき」などの例が見える。『死か藝術か』の原稿は、この年の七月に「父危篤」の報せを受けてその旅費を捻出するために出版社に託されたものであったことも話題になった。

「おいらん」「少女」など女性への視線も特徴的
信州の山の歌から三浦半島の海の歌へ歌集の構成上もよろしく
白秋や啄木など同期の歌人たちとの交流も随所に見える。


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宮崎県出生数7000人割れ

2024-01-27
2012年に1万人を下回り減少傾向
1989年には1万2000人とのこと
共通テスト受験者数4000人割れ

標題の記事が、地元紙・宮崎日日新聞一面に掲載された。つい2週間前も、共通テストの県内受験生が4000人に満たないことを知りやや衝撃を受けた。大学受験生は県内出身者に限らないのだが、所属大学の4学年分程度の人数しか県内で共通テストを受験していないという事実が重い。となるとそう時間を要せず、18歳人口そのものが10000人を割り込むわけで、共通テスト受験者はさらに減少していくことだろう。連動して小中高の児童・生徒の数も減少していくことになり、学校の建物などの箱物から教員数まで大きな影響を受けることになる。新聞によれば「未婚・晩婚化」に起因するとしつつ、さらに「コロナ禍で出会いが減少し落ち込んだ」とあった。子どもが少ない社会に、僕たちは何をどうしていったらよいのだろう。

「1万人」というと、僕が大学を卒業した頃の母校の1学年の卒業者数であった。学部内でも1学年1000人、その多様性に魅せられ入学したがそれ相応の面白さと学びが大きかった。学校は「色々な人がいる」ことで学びが生まれると言ってよい。だがこれは単に人数の問題ではない。集団があれば、本来は個々に多様であるのだ。「一律」ではなく「多様」なことを前提に、指導者が心の余裕を持って柔軟に対応することが肝要だと考える。現在は「教員不足」が深刻だが、急場凌ぎではなく将来的にも多様に対応する豊かな教員を育てなければならないと痛感する。「国語」を専攻する学生でいえば、言葉に敏感で自身が豊かな生活を志向していることが求められるだろう。まずは牧水没後100年(2028年)を視野に、その頃の宮崎がどうなっているか?仕事上の教員養成と短歌県へのあり方と多様に融合して歩みたいと思っている。

県内外で活躍するゼミ生たち
なおも東京は人口が増え続けている矛盾
「日本は大丈夫か?」社会の様々な側面で既に警告が現れている。


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近現代の思い込みを排する

2024-01-26
『枕草子』は「随筆」なのか?
日記文学と物語文学の境界線とは
想像力で書くことの自在さ自由さ

近現代の作者であれば幾多の資料が存在するゆえに、その人としての生き様を十分に知りつつ作品を読むことができる。だが時代が遡れば遡るほど、資料は乏しく作者の実像は見えにくい。ある時期において大学の卒論で「作者論」が流行ったことに起因するのだろうか(その時代を生きた比較的多い人数の国語教師たちが先導して授業づくりをした)、特に中高「国語」授業で「この作者はこうした生き様であるからこう書いた」という考え方の展開が多いのに気づく。漱石・芥川・太宰と、その生涯と作品を照らし合わせて読む思考である。一方で『坊っちゃん』は漱石の自伝的小説で松山中学校赴任時代の経験が題材になってはいるものの、「主人公=漱石」と読むことは到底できない。作者像とはむしろそれぞれの作品から読み取られ、炙り出されるものと考えたい。

今期も大詰めとなった『枕草子』を扱う演習で、やはり「清少納言」という作者像をどう考えるか?という問題意識をなるべく多角的に学生に問いかけている。これも多くの高校での「古典」授業の影響で、「清少納言は自慢話をする嫌味な女である」という捉え方をしている学生があまりにも多いのに驚く。古典文法の品詞分解以外はあまり印象に残さない「古典」の中で、この点だけは大学に来る多くの学生たちに浸透しているのはなぜだろう?やはり高校国語教師の多くが、偏った「清少納言像」に犯されているのではないかと思わざるを得ない。学生たちにはなるべく「作者=清少納言」と意図的に言わず、「この文を書いた主体」とか「文に登場する人物」とこだわった発言を演習の指摘ではくり返すようにしている。その延長でこの作品が「随筆」というジャンルなのかどうか?という問題、ましてや「作品」と呼んでいいのかどうか?などを考えさせている。現代人が「自慢」と解する内容を書いた原因やいかに?近現代の思い込みを排し、ダイナミックに古典を考えてもらいたい。

大河ドラマ『光の君へ』は「作者とは?」描く
「日記」といっても、いくらでも虚構で書くことができる
現代で研究者が書くものは、その人柄に影響を受けることはない。


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時を駆けるよ

2024-01-25
時間を刻んで駆けてゆく
休憩の大切さも悟りつつ
効率よくなどとストレスにせぬように

1日の仕事の中には、せめてもの「余白」が欲しいと思うことがある。その「余白」こそが「自分と向き合う時間」となり、すなわち「短歌」に向き合う時間になるからだ。心の揺れを感じて、言葉にしてみる。そのためには「立ち止まる」必要がある。でき得るならばそれが日常的にすんなり特別ではなく、できるのがよい。このように考える一方で、スマホには用心をしている。PCが立ち上がる少々の時間待ちにと眺めると、知らず知らずのうちに様々な情報に誘導されてしまう感覚がある。もちろん意図しない向き合い方なので、本来は不要な時間を浪費することになる。

この日午前中は非常勤先の講義が2コマ、いよいよ今期も大詰めで、まとめの模擬授業の展開や短歌作りの時間であった。個々の学生の積み上げて来た努力に接する時間は貴重であり、僕自身の学びにもなる。2コマの講義を終えると構内に、馴染みの移動販売のパン屋さんが来ているのが見えた。昼食はうどん屋に寄るかどうかと思案していたが、パンを買って一旦は研究室に戻ることを選択した。それも「余白」を作るためであると同時に、この日に〆切の書類を作成するためだ。パンを食べながらPCの立ち上げやメールチェック、本来は昼食に専心し休憩を取るべきなのだが「ながら」を選ぶ。その後、すぐに附属中学校へ向かい共同研究の研究授業を参観。事後研究会を含めて充実の学び。そのまま帰宅してやはり仕事が忙しい妻のため、鍋物の夕食準備に取り掛かる。いやはや「時を駆ける」感覚だが、こうして過ごせることの幸せを感じている。

「自分を追い越して」
「余白」は自ら紡ぎ出せ
“Times goes round”


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やはり寒中の寒波ー「春を待つ心」

2024-01-24
今年は1月20日が大寒
21日が誕生日で一番寒い日に産まれたと
暖かいと思いきや厳しい寒波がやって来た

冬は嫌いではない。寒さは気分を引き締め、凍えながらも新たな胎動が待たれる時節だからだ。たぶん「大寒に産まれた」と言われ続けたことで、自己暗示にかかっているのかもしれない。大学受験も卒業論文も修士論文も、いずれも寒い冬に達成した人生の足跡である。新年と誕生月が同じということもあり、年が改まることへの感慨が特に深いような気もする。弘法大師信仰が厚かった母方の曾祖母のことを祖母や母から話を聞くに、「初大師」に産まれたという「特別」も僕の中に宿っているのだと思う。曾祖母は常に母を護り、その延長で僕を護ってくれているのだろう。

寒中の暦通りに一級の寒波が到来したようだ。九州地方でも宮崎以外の多くの県で「大雪」の予報が出ている。ある意味で宮崎は太平洋の黒潮の影響だろう、平野部の積雪は本当に稀である。この寒中を過ぎれば、次第に春の足音が聞こえてくる。むしろ太平洋側まで積雪があるのは、春が近づいた証拠でもあるだろう。冬が好きなのは、こうして「春を待つ心」を含みもつからである。立春まであと10日、プロ野球キャンプの球春まであと1週間である。この「待つ思い」が普遍的に人の心に「再生」を宿らせる。受験の際に学んだ漢文の先生は常に「耐雪梅花麗(雪に耐えて梅花麗し)」と教えてくれた。

耐える時あれば麗しく咲くときあり
宮崎ではもう梅の開花も見られた
「寒いね」あっての「あたたかさ」なのである。


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誌上に生み出す喜び

2024-01-23
心をもって書いた原稿が
誌上に生み出されているのを読み返す喜び
そして拙著が読まれ書評に書かれることの愉悦

『短歌往来2月号』(ながらみ書房)開巻1頁目「視点」欄に、「シン心詞論ーみやざきのうた」を寄稿している。宮崎日日新聞が2023年12月3日付で「心豊かに歌う全国ふれあい短歌大会」の最優秀歌について一面記事に掲載したことを讃えつつ、「短歌にとって心とは何か?」を考える「視点」を提供させていただいた。さらに俵万智さんの『アボガドの種』にも言及し、「わたしたち」が俵さんの宮崎での詠歌を「心」という意味で共有できている特別感についても触れた。短歌は個々人の中で多様な効用を持つと同時に、読む人々にも一定の「心の作用」を提供することができる。やはりいつの時代も「やまとうたは心の心を種」としている。

同誌の書評欄には、小島なおさんが「『聲』の思考」と題して拙著『牧水の聲』について見事な筆致で評してくれている。なおさんは宮崎での和歌文学会大会(2017年)のパネリストを依頼した折から、さらに宮崎での短歌企画、みなかみ町での企画の際など懇意にする歌人の一人である。牧水に関する企画にも多数参加していることもあり、拙著で言いたかったことを見事にまとめつつ、「著者の魅力が印象深く感じられる箇所」として一部引用をいただいた。あらためて拙著をまとめるまでの努力の蓄積が思い返され、報われた気持ちになる。まさに物を書く「心」とその「言葉」が誌上に載り、それを読んだ際の喜びでわたしたちは生きていると言ってよい。

「心」をさらに大切に生きるために
そして他者の「心」がわかるために
今日もまた「心」を大切に生きたいものだ。


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生まれ出づる日に

2024-01-22
朝5:23に母からのLINE
10年を積み重ねてのいま此処
SNSを通じて同窓と久しぶりの会話も

LINEを定めた時間に送るためには、打ち込む時間を計算する用意周到な準備が必要なはずだ。母が、早朝5:23に誕生祝いLINEを贈ってくれた。それは僕自身が生まれ出づることのできた時刻、健康でまた誕生日を迎えられたことと、さらに母もまた健康で心豊かにこの日が迎えられていることに深い感謝をしたい。前日の親友との楽し過ぎる宴の余韻よろしく、午前中は早々に妻が予約してくれていた誕生日ケーキを受け取りにともに車で出向く。以前、俵万智さんも讃えていた宮崎の人気ケーキ店である。帰ると11時、しばらくすると義母と母が「一品(逸品)」の料理を持参ということで我が家にやって来てくれた。

義母は「赤飯」を炊いてくれて、母は「ハンバーグ」を作って来てくれた。小豆が織りなす穏やかな香りが、お祝いには欠かせない。また幼少の頃から、実家の近所の洋食屋にレシピを聞いて作ったという「秘伝」のハンバーグ、幼稚園でもまた大学受験の際も弁当のメインはこれだった。妻はポテトサラダを作りカキフライを揚げて、机上には料理が出揃った。恒例となった昼間のパーティーが賑やかに進んだ。あらためて思うのは、母との年齢差が母が産んでくれた歳であること、さらには自分が18歳(大学受験)33歳(大学院受験)からの時間的な距離である。あらためてスタートした原点の歳の思いにも立ち返り、希望の明日をまた一歩ずつ歩んでゆきたいと思っている。

LINEグループで大学の同窓生たちとの再会も
気持ちを寄せてくれたあらゆる人たちに感謝
あらたに何かが確実に生まれたと感じる1日。


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