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秋が見つからないで冬

2023-12-07
「誰かさんが誰かさんが誰かさんが見つけた」
だが今年などを考えると「秋」は何処に見つかったのだろうか?
師走の紅葉はもはや普通で1日の寒暖差は激しく

ここのところどの程度寒さに対応した服装にしたらよいか?悩める日々が多くなった。1日の寒暖差が激しく、早朝は一桁台の温度になるが日中は20度近くまで上昇する。今週末にかけて、その傾向がさらに顕著だという天気予報を聴いた。今日は昼休みを挟んで2コマの講義、その時間帯と最終コマで17:00からの講義では教室の気温もだいぶ違っている。もちろん暖房による調整は可能ながら、衣服の着込み具合に迷ってしまう。先月は「一気に寒くなりましたね」という挨拶をどれほど多くの人にしたか計り知れない。9月末頃から考えて、果たして今年は「小さい秋」ですらなかったような印象を持つ。

平安朝に築かれた「勅撰集的季節観」の基盤となる『古今和歌集』では、明らかに「春秋」の歌が多く「夏冬」の歌が少ない。さらに言えば、「春歌」は素材がそれほど多くはないが「秋歌」は素材の宝庫である。勅撰集が続いて作られることで、次第にある程度の均衡は取られていく。だが『新古今和歌集』の藤原定家「見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮」にあるように「花(春)と紅葉(秋)」をそれぞれの季節の象徴として翳しつつ、その残像の中にある「秋の夕暮」こそが素晴らしいとやはり「秋」を讃える歌がある。(この歌は「三夕の歌」として西行・寂蓮の歌とともに秋の季節観に影響を与えることになる)「春秋」の偏重傾向は中国詩文でも同様で、さらに極端に「夏冬」を素材とした漢詩は少ないという指摘がある。その根拠としてむしろ大陸性気候では「春秋」が極端に短いことが反動的に作用したという説に一定の説得力があった。こうした比較文学論を含めて千年以上もの間、日本では和歌の上で重視されてきた季節観であるが、気候変動の波がもはや日本文化にも大きな影響を及ぼし始めていることを危惧せざるを得ない。

樹々の葉が年内に色付き落葉するかどうか?
俳句の「季語」への理解などもさらに難しくなるのでは
皮肉にも本当に「小さい秋」になって冬。


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