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素地というか底意地というか

2023-12-03
「本性」とは「うまれつき。本来の性質」(『日本国語大辞典第二版』)
中古中世から用例があるが次第に「もとの正体。本心。正気。」などの意味も
人の素地・底に張り付いた意地のあり方として

「大人と子どもの境は何か?」と問われた時、それは単に成人年齢といった社会的なものではなく、「自らを省みることができるか否か」という考え方がある。小学生が「大人だ」と感じるのは、まさに「自分を客観視できている」と思わされる時だ。中学生ぐらいになると良い意味でも悪い意味でも自己を見つめるようになるが、それだけに思春期としての悩みが多くなる必然性がある。たぶん多くの人たちがこうした階梯を昇るようにして、社会に適応して「大人」になっていくのだろう。ただ「大人」という言い方にも様々な捉えられ方があり、一概に良質とは言い難い。「夢を失った」とか「忖度しろ」というような趣旨で語られた時は、あまりにも嫌気が差す。最近亡くなった伊集院静氏の「大人の流儀」など、あらためて読み返してみようかと思っている。

前述のような心理的発達の中で、「自省」→「自己嫌悪」→「自己変革」→「実行動」のような作用をくり返す。それはどんな年齢になっても無くなることはない。その背景には、あまり自分自身ではわからない「素地」とか「底意地」のようなものが心の奥底に貼り付いているような気がするからだ。高齢化が進み認知症については、大きな社会問題となっている。なるべくは「心身ともに健康長寿」を目指したいと誰しもが思うのだが、高齢の果てに「子ども」のように心身が退行していくとしたら、この「素地」とか「底意地」があらためて顔を出すのではないかと思う。などと考えると、どんな年齢になっても常に「自己の客観視」と「自省」ある言動こそが、「健康長寿」の要件ではないかとさえ思う。されど現実には、そんなに整うことのない実態があることを眼の当たりにして呆然としなければならないのかもしれない。

抗し難く奥底に貼り付いた本性
とはいえ人は「生き方」でそれを更新することができる
「自省・自己嫌悪」を放置せず前向きに「自己変革・実行動」に転化して生きたいものだ。


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